宇都宮徹壱ウェブマガジン

NPBとJリーグが並び立つ歴史的意義を考える 新型コロナウイルス対策連絡会議設立に寄せて

「NPB・Jリーグ 合同記者会見のご案内」という標題のメールが届いたのは、3月2日の午前9時のことであった。NPB(日本野球機構)とJリーグという組み合わせもさることながら、会見が行われるのが当日の15時というのにも面食らう。よほど緊急性のある会見のようだから、これは行っておいたほうがよさそうだ。その日は16時からインタビュー取材が入っていたが、幸い両方とも場所は品川。ということで、取材のアポイントを15分ずらしてもらい、会見が行われる品川のホテルに向かった。

 結論から言えば、会見の内容自体はさほど緊急性のあるものではなかった。登壇したのは、NPBの斉藤惇コミッショナーとJリーグの村井満チェアマン。会見での主な内容は「新型コロナウイルス対策連絡会議」設立の経緯と内容について。構成メンバーは、NPB側が12球団の代表者、Jリーグ側は理事および特任理事、JFAから3名、さらに感染症学の専門家3名も参加することが合わせて発表された。その第1回会議が行われるのは翌3日で、会議後に具体的な発表が行われるとのことであった。

 取材者にとっては、ある種の「無駄走り」だったのかもしれない。だが、NPBJリーグのトップによる合同記者会見に立ち会えたことに、私は感無量となってしまった。NPBの前身である日本職業野球連盟は1936年(昭和11年)、Jリーグの前身であるJSLは1965年(昭和40年)にそれぞれ発足。実に親子ほどの年齢差である(ちなみに亡き私の父は昭和11年、私は41年の生まれだ)。時にリスペクトし、時に反面教師としてきた、日本プロスポーツの「父と子」が並び立つ。これを歴史的瞬間と言わず、何と言おう。

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