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現役プロサッカー選手が本を書いた理由 岩政大樹(東京ユナイテッドFC)インタビュー<2/2>

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■「J1で1年間プレーして引退する」プラン

──岩政さんにとって、Jリーガーとしての最後の試合となった、2年前のセレッソ大阪対ファジアーノ岡山によるJ1昇格プレーオフの決勝。私も雨の中で現地取材していましたが、残念ながらセレッソに勝利することができず、岡山のJ1昇格はなりませんでした。もしあの試合で岡山が勝っていたら、つまりJ1昇格を達成していたならば、岩政さんは今とは違った形で現役生活を続けていたんでしょうか?

岩政 自分の中では「J1で1年間プレーして引退する」というプランでした。そして僕の中では(プレーオフで)上がれるとしか思っていなくて、「上がらないバージョン」のことは考えなかったんです。鹿島を退団して以降のことも、他のJ1クラブに移籍するのではなくて、まずはJ2クラブに入って昇格に貢献して、それからキャリアの最後にJ1で最後のシーズンをプレーするって決めていたんです。ですからあのプレーオフも、「来年で引退します」って宣言しようと思っていたくらいですから(苦笑)。

──つまり岡山をJ1に上げて、次のシーズンは岡山の選手としてカシマスタジアムに凱旋するぐらいのイメージだったんですか?

岩政 そうです。それは思い描いていました。でも、それが突然なくなったっていうのは大きな転機になりましたよね。本当にノープランでしたから(笑)。

──しばらく落ち込んだそうですが、その後、東京ユナイテッドに決めるまでの間はどういった葛藤があったんでしょうか?

岩政 プレーオフに敗れてから、退団するまで1週間くらいはファン感(謝デー)を含めてクラブの活動に参加していました。そこで感じたのは、岡山の皆さんが僕に対して本当に期待を寄せていたということ。メールをはじめ、さまざまな温かいメッセージをいただいて、それがかえって堪えましたね。そんなこともあって1週間くらい、何も考えられない日々が続きました。それが終わってから、家族と一緒にハワイに行きました。最近は毎年、行っていたんですけど。

──その間にも、いろいろオファーはあったんですよね?

岩政 代理人には「ちょっと探しといてくれ」とは言っておいたんです。とはいえ、オファーが来たとしても、僕自身がやりがいを見いだせるかというと、これがなかなか……。そんな中で熱心だったのが、関東1部に上がることが決まっていた東京ユナイテッド、そしてJFL昇格を決めていたFC今治でした。

──今治からもオファーがあったんですか? それは知らなかった!

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