徳島ヴォルティスの黎明期が面白すぎる! 取材中に明らかになったJFL創設の舞台裏
JFAハウスにて、森保一五輪代表監督の就任会見(10月30日)、そして11月の欧州遠征に臨む日本代表のメンバー発表会見(31日)が行われた頃、私は徳島県での取材を続けていた。今回の取材の成果は、スポーツナビの『J2・J3漫遊記』にて後日掲載される予定だが、本稿では取材中での興味深いこぼれ話を披露することにしたい。
私にとって徳島は、他の四国3県と比べるといささか縁の薄い県であった。唯一訪れたのは、今から11年前。当時四国リーグだった徳島ヴォルティス・アマチュア対カマタマーレ讃岐を取材している(ちなみにこの試合は、土のグラウンドで行われて大いに面食らった記憶がある)。その後、高知は何度か春野で地域決勝があったし、愛媛もFC今治の取材で毎月のように訪れるようになったが、徳島はそれっきり。きちんと現地を漫遊するのは、実のところ今回が初めてであった。
今季の徳島ヴォルティスの注目は、やはりスペイン人のリカルド・ロドリゲス監督であろう。だが今回の取材の目的は、前身の大塚製薬サッカー部がJクラブとなるプロセスを明らかにすることである。Jリーグ開幕から間もない94年、徳島では大塚製薬のJリーグ入りの可能性に沸き立っていたが、当時の県知事が受け入れの断念を発表。その後、県内にJクラブが誕生するまで、11年の月日を待たなければならなかった。
(残り 2011文字/全文: 2579文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ