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名古屋グランパスの降格を「人事」から読み解く ヨシハラ(グラぽ主催・編集長)インタビュー<2/2>

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■ボスコの監督就任があと3試合早かったら

――久米社長の功罪についてですが、土壇場でボスコと闘莉王を呼び戻して、それが終盤の巻き返しにつながったのは「功績」と言っていいのではないでしょうか。

ヨシハラ そうですね。あのリスク対応は見事だったと思います。サポーターも「残留できるんじゃないか」という気持ちになりましたし。ただ、これは想像でしかないんですが、久米さんが実権を一時的に手にしたのは、あのタイミングではなかったのかもしれないですね。

――つまり柏とのアウエーに敗れた試合(8月20日)の直後ですね。そして後任監督のボスコは、5バックから3バックに戻して、戦い方もがらりと変わりました。初采配となったFC東京戦は1-1で引き分け、新潟戦には14試合ぶりの勝利を飾ります。

ヨシハラ 僕は常々思っているんですが、J2リーグ以上にいるような選手というのは、適切に使って適切に組み合わせることができれば、ある程度は戦うことができると思うんですよね。それと闘莉王が加入したことで、守備におけるイニシアチブが取れるようになったのも大きかった。それまでは竹内が守備の軸だったんですけど、彼はどちらかというと職人肌の選手であって、声を出して引っ張っていくというタイプではなかった。そこに守備を統率できる闘莉王が入ったことで、今季の課題だった守備面が一時的に改善されることになりました。

――結局、ボスコは8試合を指揮して3勝2分3敗、つまり五分ですよね。あの難しい時期にチームを引き継いだことを思えば、これが精いっぱいだったんですかね。

ヨシハラ そう思います。そもそもボスコって、ネルシーニョのような勝負師タイプの監督ではないと思っているんですよね。ネルシーニョって、試合の流れやチームの状況に応じて、柔軟に戦術や選手を変えることができる。今季のセカンドステージでのヴィッセル神戸の躍進は、勝負師としての彼の采配のおかげだったと思っています。でも、ボスコはそういうタイプではない。戦術をしっかりと整えて、繰り返し練習してベースを身に着けさせ、それを試合で発揮させるのが彼のやり方なんです。

――非常にオーソドックスなやり方だったので、短期間で結果を求めるのは厳しかったと。とはいえ小倉監督の後任を考えた時、ボスコしかいなかったのも事実ですよね。

ヨシハラ 僕は彼しかいなかったと思っています。例えばステンリー・ブラードをコーチから昇格させても上手くいったとは思わない。ボスコだったら、ある程度は選手のこともJリーグのことをわかっています。クラブとしても、あのタイミングで選択肢が限られていたと思いますし。

――むしろ、よくボスコが空いていましたよね。

ヨシハラ 本当かどうかはわからないですけども、ある記事によると、久米さんが今年の初めから「もしもの時にはお願いしたい」と声をかけていたみたいですね。闘莉王についても「ヘタなところに移籍するくらいなら、空けておいてくれ」と言っていたみたいで。

――それで闘莉王は、名古屋が自分を必要としてくれるまで、ずっとブラジルの農場で馬に跨りながら待機していたと。本当だとしたら、すごい話ですよ(笑)。いずれにせよ、ボスコが監督になり、闘莉王も復帰しました。久米さんは、あの時点でできることのすべてをやったんだと思うんですよ。それでも、残留には至らなかった。あと、何が足りなかったと思います?

ヨシハラ 時間ですよね。監督交代が遅すぎました。もう3試合早かったら、全然結果が違ったんじゃないんですかね。

――3試合というと、ちょうどサポーターズミーティングをやっている頃ですね(参照)

ヨシハラ そうです。あのタイミングで代えていたら、また全然違ったんじゃないんですかね。あとは選手補強。実はシーズン中にも、クラブはいろいろな選手に声をかけていたそうです。でも、ほとんどの選手は断ったみたいですね。たぶん、闘莉王や本多(勇喜)牟田(雄祐)がチームを去ったときの顛末を耳にしていたんでしょう。やっぱり狭い世界ですから。

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