宇都宮徹壱ウェブマガジン

リヨンで目撃した「赤と黒」の熱狂 短期連載『徹壱の仏蘭西日記』第9回 6月19日(日)@マルセイユ〜リヨン

■マルセイユで「ネット難民」になる

 フランス滞在8日目。今日はマルセイユを離れてリヨンに戻る日であったが、朝から厄介な問題に悩まされていた。アパルトマンのネットが非常に不安定で(1泊2万円もしたのに!)、しかも現地SIMを入れたiPhoneがテザリングできない状況が続いていたのである。これでは原稿を送信できないので、早めにチェックアウトしてマルセイユ・サンシャルル駅に向かう。マクドナルドならWi-Fiが使えると踏んだのだが、これがまたとんでもなく遅い。仕方なく、別の店を探す。フリーのWi-Fiが使える場所を求めさまよう私は、ネットカフェ難民ならぬ「ネット難民」であった。

 ふと「自分はいったい何をやっているんだろう」と思うことがある。海外取材の際、ネット環境から離れることを恐れるようになったのは、いつの頃からだろうか。今の仕事を始めるきっかけとなった1997年のバルカンの旅では、私は携帯電話もPCも持って行かなかった。理由は簡単で、当時の私は携帯もPCもメールアドレスも持っていなかったからだ。私が変人だったからではなく、ほんの20年前のわが国では、そういう人がまだまだ少なくなかったという話である。98年にフランスで開催されたワールドカップでは、友人からPCを借りて現地に持ち込み、現地の模様を30人くらいの友人・知人にメールで伝えていた。

 海外取材で携帯電話が活躍するようになるのは、06年のワールドカップ・ドイツ大会以降であると記憶する。すでにカメラもデジタル化していたので、私の仕事も次第に慌ただしいものとなった。自分が取材して書いた原稿や撮影した写真が、ほんの数時間後にネット上でアップされ、多くの人たちに読まれることはもちろんうれしい。しかし一方で、時おり密やかな後ろめたさを覚えることもある。少なくとも「ネットメディア」という言葉がなかった時代は、今以上に熟慮と推敲を重ねて、自分なりに納得した形で原稿を編集者に渡していた。「自分なりに納得した形で」というのは、もちろん今でも同じであるが、納得の質があの頃と今とでは決定的に違っているような気がするのである。

 その後、SNCF(フランス国鉄)のWi-Fiが20分フリーで使用でき、しかも非常に安定していることが判明。何とか列車が出る前に入稿することができた。ほっと一息したのも束の間、リヨンに向かう列車では車窓に映る風景にほとんど目もくれず、私は次の原稿に取り掛かっていた。

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