宇都宮徹壱ウェブマガジン

なぜ「新しい個人メディア」を立ち上げるのか?  徹マガ休刊についての主筆の考えを補足する


(C)Tete_Utsunomiya

 あらためまして、新年おめでとうございます。個人的には喪中ゆえ新年のご挨拶を控えさせていただきましたが、2016年も徹マガをよろしくお願い申し上げます。

さて、昨年最後の徹マガにて、本メルマガが来年6月いっぱいで休刊となることをお知らせした。2010年の5月以降、5年半続いたメディアではあったが、どんなメディアでもいつかは終焉を迎える。ましてや脆弱な個人メルマガであれば、5年半も続いたらかなりの長命である。ゆえに会員の皆さんも「天寿をまっとうした」とすんなり認めてくれるだろうと当初は思っていた。

実は年末から年明けにかけて、10人くらいの方々から徹マガ休刊を惜しむメールやDMをいただいた。随分とご無沙汰している方や、徹マガ初期の頃から愛読されている方、さらには中国人ジャーナリストの応虹霞さんからも「何があったのか心配しています」とのメールをいただいた。ついでに言えば正月に実家を訪れた際に、母親からも「なんでやめてしまうの?」と聞かれて、いささか言葉に窮してしまったことを付け加えておく。

どうも前号での巻頭コラムでの告知は、必要以上に読者の皆さんを困惑させてしまったようだ。それでも、徹マガが6月いっぱいで休刊となるという決定そのものについては、私自身も(そして編集長の澤山大輔も)熟慮と議論を重ねたうえでの結論であったことは、まずご理解いただきたい。そしてそれは、全面的に悲観すべきものではないと個人的には考えている。そこで本稿では、新たに立ち上げを考えている個人メディアのことも含めて、前号の巻頭コラムの補足説明をさせていただくことにしたい。

まず、徹マガが休刊することになった理由について。前号でもお伝えしたとおり、私と澤山による制作体制が維持できなくなったというのが、直接的な理由である。徹マガというメディアは、私と澤山によるユニットプロジェクトであり、どちらかが「もう続けられない」と決断すれば、自ずと休刊となる運命にあった。宇都宮ひとりで徹マガを続ける案もなかったわけではないが、「それはもはや徹マガではない」という私の考えで却下した。私と澤山との間では、このユニット解消を「離婚」と呼んでいるのだが、「離婚」が成立したのなら私ひとりが大きな家で暮らすのではなく、私は私の新しい家(=新しい個人メディア)で新生活を始めたいという強い意向があった。

とはいえ「新・徹マガ」ではなく、新たに個人メディアを立ち上げることについては、それなりのリスクとデメリットが懸念されるのは事実である。というのも、徹マガの会員がそのまま新しい個人メディアの会員になってくれる保証など、どこにもないからだ。休刊を契機に「もういいや」と思う人や、手続きが面倒と感じる方も当然いらっしゃるだろう(個人的には、現状の徹マガ会員のうち半分でも移行してくれれば御の字と考えている)。

それでも「新・徹マガ」ではなく、新たな個人メディアをあえて立ち上げるのは、前述した私の強い意向以外にも理由があった。それは、新しい個人メディアは、現在の徹マガのノウハウやテイストは継承しつつも、かなり違ったものになる可能性が高いからである。

まず7月以降はマンパワーと予算の理由から、HTMLとEPUBによる配信ができなくなる。加えてコンテンツのボリュームも、現状の半分程度に絞っていくつもりだ(これには理由が2つあって、ひとつは書籍の執筆時間を確保したいため、そしてもうひとつはメディアのクオリティを確保するためである)。配信の形式が異なり、ボリュームも半減するのに「徹マガ」を名乗るのは、読者に対して決して誠実とは言えない。筋を通すという意味でも「徹マガ」をいったん終了させるべきであると考えた次第である。

前述のとおり「徹マガ」というブランドをリセットするのは、それなりのリスクとデメリットを覚悟しなければならない。とはいえ、これまでの徹マガには縛られない新しいチャレンジができるのも事実であり、それは表現者にとって非常に魅力的な話である。具体的な内容はまだ明かせないが、方向性として2点だけ挙げておく。まず、新しい個人メディアは、宇都宮徹壱の志向性がより明確になること。そして、会員との距離がより近く感じられる「場」となることである。

さて、徹マガの総括は半年後にあらためて述べるが、このプロジェクトを続けてきた5年半は、紙媒体をめぐる状況は厳しくなる一方であったことは指摘しておかねばなるまい。徹マガが休刊となったからといって、紙だけで生きていくことは残念ながら現実的ではない。そうして考えると、メルマガというチャレンジを続けてきたことは、書き手としての寿命をさらに延ばすことにつながるのかもしれない──。もっとも、その結論が得られるには、もう少し様子を見る必要があるだろう。

繰り返しになるが、徹マガが6月いっぱいでメディアとしての役割を終える一方で、新たな個人メディア設立の模索は今も続いている。そしてその片鱗や予兆のようなものは、残り半年となった徹マガで実験的に盛り込んでみるつもりだ。新しい個人メディアを購読するか否かについては、この半年の徹マガの内容とクオリティからご判断いただければと思う。主筆としても、残り6カ月をただ「看取る」のではなく、「その次」に向けてさらに攻めていくつもりだ。

<この稿、了>

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