特別インタビュー :3.11.東日本大震災で下平監督が感じたスポーツの力「スポーツができるありがたさと、そこで苦しんでいる人たちに勇気を与えるという形での恩返し」
◆3.11の東日本大震災から14年。当時を振り返っていただけますか。
当時、僕はちょうと柏ユースの監督をしていた時期で、秋野(央樹)(現 アビスパ福岡)が2年生だったのかな。震災が起きて、トレーニングができなくなったというか、トレーニングどころではない状態でしたね。その中で被害を受けている人たちがいるということで、すぐにできることを考えて、被災地支援の活動をやったのを思い出します。あの経験があるからこそサッカーができる喜びをその後に感じるようになったし、サッカーができることに感謝する気持ちになれたんだと思っています。
◆アカデミーの指導者として子どもたちへの影響をどう考えましたか。
柏で言うと、放射線がとか、その影響を受けた雨で土壌がやられるのでは・・とかいろんな話が聞こえてきたんですよ。それまで考えもしなかった事態だったんですけど、必ずまたサッカーができるんだ、解決できるんだと思っていましたし、「必ずまたサッカーができるときが来るから、それまでしっかり休んで、やれることをやっていこう」という話はしましたね。
◆3.11の地震では東北全体が大きな被害を受けました。自身の故郷である青森も被災したと思いますが。
あまり実家に帰るタイプではなかったし、僕の実家がある方はそんなに被害が出なかったところだったのもあって、そちらはあまり気にしませんでした。とにかく、柏のU-18を・・という感じでした。
◆その体験から14年、折しも前節は被害の大きかった仙台での試合でした。今、こうやってサッカーができることについて、どう思われますか。
本当にね、いろんなことがあって、震災のあともコロナ禍があって金沢でも大きな災害があった。全国で大きな災害や混乱があっているんですけど、その中で自分たちがそのときにやれることをやり続けるしかないなと思いますね。
◆そういった中でスポーツの力が大いに注目されましたが、監督はスポーツの力についてどのように考えていますか。
そこは本当に力があるなと思いますね。スポーツって多くの人にとっては娯楽ですよね。娯楽なら、どうしようもないときは無くても良いんですよね。そこは震災のときも強く感じたんです。生きていくためには、まず生活する、生きていくことが最優先される中で、ゆっくりスポーツでも観戦しようとはならないんですよね。でも、それが少しだけ一段落ついたときに、われわれが活動することで元気を与えられる。そういう存在だと思うんですよ、われわれって。だからこそ、スポーツができるありがたさと、そこで苦しんでいる人たちに勇気を与えるという形で恩返しをすること。それがわれわれの仕事なんだと思います。