コラム:新エンブレムの決定の反応に見る「うれしさ」と「寂しさ」と「誇らしさ」と~
11月10日のリーグ最終節後、来年1月1日から使用開始となるV・ファーレン長崎の新エンブレムが発表された。
ちなみに私のエンブレム変更への見解は、9月に書いたこちらの記事「ViSta コラム:新エンブレム4案。新しい歴史への期待と、共に歩んだ月日への愛着~長崎がエンブレムを変更へ~」(https://www4.targma.jp/nagasaki/2024/09/16/post33655/)のままである。
エンブレムが発表された瞬間、私はピースタの監督記者会見室にいた。試合後のアウェイチーム監督会見に出席するためだ。本来ならクラブの一大発表なので立ち会いたかったが、「移動のあるアウェイはともかく、ホームなら戦った監督の会見に出席するのは記者の礼儀」という先達の教え優先である。(もっと「長いものに巻かれろ」とか、「目立つ記事を書け」とか言ってくれる先達なら良かったのに・・)などと思ったが、試合後の愛媛側の感触を感じられた良かったとも思う。
そのため、私は新エンブレム発表時の反応がどんなものかは知らない。試合後、サポーターの方たちに食事に誘われていたので、そこで少し反応を聞いたのだが「変える必要があったのか?」、「みんな、今のままで良いと思っているのに」、「どういう形でか、今のエンブレムを残せないのか」という言葉が多く聞かれた。
なるほど・・と思うと同時に少し嬉しくもあった。
元エンブレムは形が左右非対称でデザインも細かく決して今風ではない。恐らく、新エンブレムをずっと使っていたところで、元エンブレムが新デザインとして発表されていれば、なかなかにマイナスな反応が多かったろうとも思う。
実際、エンブレムが発表された2005年当時、そのデザインを見たときは軽くガッカリした。当時はかなり不評だったのだ。それから20年。エンブレム変更を不満に思う人たちが、今こんなに増えたのである。
それはクラブが歩んできた20年への思い入れであり、記憶、記録、関わった人がそれだけ愛された証拠だ。
私がガッチガチのサポーターだった頃、試合の告知チラシを自費で作り懸命に配っても無関心な方はまだまだ多かった。「Jリーグに昇格したら応援してやる」、「ぜんぜん知らん」と言われたことは1度や2度ではない。当時の私はV・ファーレンが街の日常にある風景を目指して必死だった。
そうして今、V・ファーレンのある風景は街の日常になった。20年前と違いチームを知らない人はいない。馬鹿にされることもない。昔の自分が夢見た日が今ここにある。そう思うと、20年前の苦労が少し懐かしく、それをやらなくてよい今が少し寂しく感じもするが、こんな毎日を目指して、当時の私は必死だったのだ。それが実現した今、発表当時に不評だったエンブレムを多くの人がこれだけ惜しんでくれる。
何と幸せなことか。
もちろん、エンブレムの変更にあたってはビジネス面の観点だとか、オーナー会社の意向だとかは存在する。それでも20年の歴史が覆ることはなく、元エンブレムへの思いが褪せることもない。エンブレムとは「道徳的真理や寓意といった概念、人物を表す画像」である。画像がどう変わろうと、私の中の真理も概念も何も変わりはしない。ずっと心の中にオシドリのエンブレムはあり、いつの日か新エンブレムの折り鶴も同居するようになるはずだ。
そして月日が経てば、物心ついた頃から新エンブレムだったという世代のファンが出てくるようになるだろう。そのとき、やはり新エンブレムは元エンブレムと同じように愛されるものになっているはずだ。
そのとき、私は話すのだ。
オシドリのエンブレムだった時代を、誰よりも楽しそうに。若い世代にちょっとだけマウントを取りながら、何とも言えないドヤ顔で、心の中にあるオシドリのエンブレムを誇らしく感じるのだ。
そんな日を私は楽しみに待つのである。
そうして、元エンブレムの歴史に感謝と最大限の敬意を捧げつつ、新たなエンブレムの下でまた素晴らしい日々を積み重ねていきたい。
reported by 藤原裕久