長崎サッカーマガジン「ViSta」

ViSta コラム:隠れたクラブの大功労者「大山昇」と「岸川賢一郎」のV・ファーレン長崎ラストマッチ

(画像左が大山昇さん、右が岸川賢一郎さん)

ずっと2人は陰に日向に支えてきた。

仕事のかたわら、県総・トラスタ・佐世保市営・柿泊・島原市営、そして平戸・・、チームの試合があった全ての競技場で、何年も何年もボランティアを続けてきた。1人の名前は大山昇。もう1人は岸川賢一郎。V・ファーレン長崎がトランスコスモススタジアム長崎で最後の公式戦を戦った9月22日、V・ファーレンの誕生以前・・、クラブ創設から運営ボランティアのリーダーを続けてきた2人は最後のゲームを終えた。

「これで最後。これでもう(ボランティアを)辞めるよ(笑)」
大山さんが、そう言い始めたのは何年前からだったろう。ボランティア以外でも2009年から2012年までは外部協力団体の『V・ファーレン長崎支援会』で事務局長なども務め、人当たりも良い大山さんは創設時のクラブスタッフからの信頼も抜群な人である。

(地域リーグ時代、JFL、そしてJリーグ。コロナ禍でも大山さんはボランティアを続けた)

地元の香焼でサッカーの指導をする大山さんは「長崎の子どもたちに良いサッカーを見せたい、良い影響を与えてほしい」という気持ちが非常に強い人でもあった。良くない試合が長く続くと「これじゃ、子どもたちの憧れになれない。それは指導する僕らにも困るんだ」と言っていたものである。

だが、2週に1度、週末を毎回ボランティアに充てる苦労は大きかったし、毎年のように運営スタイルや担当が変わるために、毎シーズン同じことを忠告しなければならない状況への徒労感もあったという。

だが、開幕前になるとクラブからヘルプの連絡が入り、その度に引き受け続けてきたのだという。だが、クラブがジャパネットグループとなり経営が安定し、スタジアムを移転するのにあたって、運営が全て自前に切り替わるということで役割を終えることになった。

そして、それは大山さんの個人的な心情でも区切りが付いたタイミングであった。

(クラブ創設時の功労者であり、その後にクラブを離れているが今も長崎のサッカーに関わり続けている岩本文昭さん)

「クラブがどう変わっても、いつか岩本が(クラブに)帰ってくるかもと思って続けてきたけど、もう戻ることはないってわかったからね。」

大山さんのいう岩本とは岩本文昭。クラブ創設に関わり、チームの初代監督、後にフロントとして取締役も務めながら経営危機が発覚した2017年の混乱の中で、心ならずもクラブを去った人物である。

いろいろな事情を考えれば、岩本さんの復帰が現実的ではないのは大山さんも承知だったろう。それでもあり得ない可能性を信じていた・・と言うよりも信じたかった。そこに今回ようやく踏ん切りがついたのだ。それは同時に、本当の意味でクラブが新しい段階へステップアップしたということであり、大山さんもそれを感じたからこそ決断したのだろう。

(岸川さんはアウェーで応援することも多いサポーターでもあった)

「今日で終わり(笑)」
同じくクラブ創設以来、運営ボランティアを務めてきた岸川賢一郎さんはラストゲームを前に、何となく寂しそうにも見える顔で語った。岸川さんがV・ファーレンの前身である有明SCに関わったのは、職場で一緒だった岩本文昭さんの影響である。なので、当初はサッカーやクラブより、岩本さんへの個人的な協力の範囲だった。

だが、頭より先に行動するタイプの人である。始めてみたら夢中になった。ホームゲームでは運営ボランティアをやり、アウェイでは遠い県外まで駆けつけてフラッグを振って声を挙げ応援した。大山さんに比べて岸川さんは率直にものを言うタイプなので、応援もボランティアも夢中になりすぎて、やや熱くなり過ぎることも多かった。2011年から2014年のクラブ社長で、前職の上役だった宮田伴之さんは、そんな岸川さんを見ては「あいつは熱くなってうるさすぎる」と言っていたものだ。互いを知っているからこその忌憚(きたん)のないご意見である(笑)。

岸川さんにとって、ホームでボランティアをすることもアウェイでの応援も全てサポーターとしての支援だったのだろう。だからこそ本気で支え、本気で怒り、本気で笑った。クラブとの距離感に悩んだときもあるだろうが、最期の最期まで大山さんと試合運営を支えることに月日を費やし続け、ついに9月22日のラストマッチを迎えたのである。

フロント、選手、サポーター・・、クラブを取り巻く全ては決して永遠ではない。今回、はからずも証明したようにクラブエンブレムですら永遠ではない。そして、それはクラブを支えた表にはでない功労者たちも同様である。

一般的にサポーターには『12』という背番号が与えられるが、ボランティアにはそういうものはない。だが、背番号こそ与えられなくとも、20年という十分な月日をクラブに捧げ、支え続けた2人は間違いのない大功労者であり主力である。

私は試合終了後の記者席から大山さんと岸川さんへ心からの拍手を送った。
それが功労者がピッチから退くときの最低限の礼儀である。

本当にお疲れさまでした、大山さん、岸川さん。
あなたのお陰で、私はいつも心置きなく試合を観ることができました。
ありがとう、ございました。

reported by 藤原裕久

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