長崎サッカーマガジン「ViSta」

ViSta コラム:He’s coming home!~高木琢也が長崎に帰ってくるときの物語~


でその話は進んだという。

驚くほどのスペースでその話は進んだという。

2022年12月7日にクラブから発表された高木琢也C.R.O長崎復帰の話である。

ある人によれば、高木C.R.Oが髙田旭人社長に連絡を入れてから復帰決定まで、わずか数日だったという。後任監督候補や今年の選手復帰に尽力したなど、この復帰については、いろんな憶測が飛び交ったようだが、話自体は非常にシンプルだ。

話は高木C.R.Oが旭人社長に電話をしたという2022年12月初旬から1週間ほど前にさかのぼる。

「電話してみませんか?」
11月下旬、SC相模原の監督を退きフリーの立場だった高木氏と電話をしていた相手の名は岩本文昭。V・ファーレン長崎初代監督で、元取締役でもあった男だ。岩本氏は高木氏の国見高校時代の後輩であり2人は兄弟分のように仲が良い。互いの近況を話している中、
彼は高木氏にそう言ったという。

2006年に監督となって以来、監督としてサッカー界の現場に立ち続けていた高木氏だが、ここ最近は、望郷の思いにかられることがグッと増えていた。それは年齢を重ねたためかもしれないし、1年前に父を亡くし、その後片付けで実家に帰っていた期間が長かったためか・・。長崎の街に何か力になれれば。良い話があれば・・、そんなことを電話口で呟くと、岩本氏は髙田旭人社長に電話してみればと声をかけたのだ。

何気ない会話の一つである。高木氏自身も、クラブを離れて数年経つ身だ。調子良く電話して・・などと考えてはいない。だが、その一言が妙に気になった。

2022年の夏、高木氏は長崎を離れて以後、初めてV・ファーレンの公式戦を2試合観戦している。実家に戻っていることを知った髙田明元社長の熱烈な誘いだった。

誘いのきっかけとなったのは年頭に明元社長と会ったことだ。会った場所は高校時代の恩師である小嶺忠敏氏の葬儀会場。そこで明元社長が、前年に亡くなった高木氏の父の墓前へ参りたいと申し出たのだ、このときは多忙のため気持ちだけ受け取って断っている。高木氏にはそのときの申し訳ないという気持ちがあった。

同時に、同じサッカー界にいる関係で挨拶程度はしていたものの、長崎を去ってからは旭人社長とゆっくりと話せていなかったことも気になっていた。

不義理をしたくないという思があった。年末年始の時間がある今、過去のことも含めてお礼を伝えようと旭人社長に連絡し、それから明社長へ連絡することにした。そこから先がどんな話になったかは当人たちしかわからない。ただ、長崎への高木氏の思いを知った旭人社長の決断は早かった。

与えられたポジションは取締役兼C.R.O(クラブ・リレーション・オフィサー)。

アドバイザーといったゲストポジションではなく、最高待遇で迎えることが即決された。旭人社長からは「何でもやってみてください」と言われたという。

自身も戸惑うようなスピードで話が進む中、高木氏がまず考えたのは「自分に何ができるのか」だった。まず始めたのはジャパネットグループのスタイルと考え方を理解すること、そして長崎という街を理解すること。

「僕に何ができると思いますか」

この1年、会うたびに高木C.R.Oはそう尋ねてきた。

この1年で多くの人と会い、様々な場所へいき、サッカークラブのフロントの現実も目の当たりにした。監督時代も集客や運営がどれほど大変か理解しているつもりだったが、予想以上の大変さ、それを支えるボランティアやサポーターのありがたさを体感した。最近は講演を依頼されることも増えたし、スポンサー営業をこなしながら、必要ならばPR役としてメディアにも登場する。それでもまだこう考えているという。

「まだ自分は何もやれていない」

そんな中でも良かったなと思うことがある。一つは長崎の街を盛り上げるために働けること。もう一つはC.R.Oとなり、明元社長に挨拶したときにある話を聞けたことである。

高木C.R.Oが監督を契約満了した際に、クラブ事務局に老年の男性が明社長を訪ねてきたと言う。その男性は「高木琢也の父です」と名乗り、「息子が本当にお世話になりました。ありがとうございました」と深々と頭を下げて帰っていった。

明元社長に聞くまで高木C.R.Oはこの話を知らなかった。父は子に何も言わなかったのだ。

「そういう親父なんですよ。黙ってそういうことをやる。・・そういう親父だったんですよ」

高木C.R.Oが生前の父と会ったのは、SC相模原の監督としてトラスタでV・ファーレンと試合をした翌日が最後だった。亡くなったときも、シーズン中だったために実家に戻らず試合を戦い翌日に駆けつけた。それだけに、「親父のそういう話を聞けただけでも、本当に良かったと思うし、長崎に帰ってこられて感謝している」と言う。

この1年いろいろ経験したことでサッカークラブの在り方や経営なども考えるようになった。まだ監督して指揮を振るいたい気持ちもあるし、そのための準備も怠っていない。何よりクラブスタッフの一人として「何かをなしたい」と思う。

C.R.Oは今年の年末ギリギリまであるという。仕事もあればゴルフのお誘いもある。一緒に食事に行こうという話もある。年末に持ち上がったカリーレ氏のサントスFC入り騒動のために、後任に名前が挙がることもあったし、本人にも現場への思いはある。フロント1年目は何とも多忙な年だった。

おかげで、数年後に自分がどうなっているのかもわからないという。

それでも、長崎の監督を退任となるとき「少しずつサッカーの匂いがするようになってきた」という故郷で「こんなに忙しい年末は初めてですよ」という日々は続く。一昨年の年末に電話をかけるまで、そんな未来があるなんて思いもよらなかった。

サッカー界の流れは早い。数年後どころか1年後、1カ月後のことも予測はつかない。その中で確実に言えるのは、高木C.R.Oの望郷の思いは存分に満たされているだろうということだ。

当然だろう、この街は彼の故郷なのである。

He’s coming home!

彼は戻るべき地に戻ってきた。存在が街にはまらないわけはない。

ただ、それだけの話なのである。

« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ