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アカデミーレポート:幻の最強世代だった今年のU-18は、なぜリーグを不本意に終えたのか(前編)~リーグの流れを変えた1プレーの重み~

先に言っておくが、U-18の批判や選手の戦いと結果を否定する気は一切ない。九州クラブユースU-17は3位に終わったものの、3月には全国レベルの強豪がひしめくサニックス杯で5位。日本クラブユースでも8年ぶりに本大会ベスト16入りと、彼らは素晴らしい戦いを見せてくれた。だが、彼らはもっと結果を残せたはずだった。

今年、U-18の最上級生たちはV・ファーレン長崎U-15で最強世代と呼ばれた子たちだった。

「攻撃力のある子が揃っているので、そこは楽しみ。それだけにどう作っていくか」とは原田武男監督が4月に語った言葉である。中でも1年生から得点源だった七牟禮蒼杜、U-15でもエース格だった池田誉の2トップには大きな期待がかけられていた。

新チーム始動後の3月にはクラブが提携するレヴァークーゼンへ選手たちが短期留学するなど手厚い育成もあった。受け入れ先のレバークーゼンのSlawomir Czarnieckiユースコーチも、七牟禮の名前を挙げて「ストライターというよりチャンスメイカーに近いが、非常に良い選手」と評価している。

ただ、このレバークゼーンへの短期留学とサニックス杯と同時期だったこともあり、チーム作りの面では難しい部分もあった。

「サニックスは良い戦いができたけど、その次の大会が良くなかった。波がある。大会や留学が続いて、トレーニングで落とし込みができていないのがあるのかなと(原田武男監督)」というのは、原田監督の当時の感想である。

特に懸念されたのが攻撃面だ。池田誉が昨年から怪我で戦線を離脱していたため、特にリーグ序盤は七牟禮蒼杜の裏取りと、伊藤小次郎の突破が中心で多彩さを欠くシーンが多かった。

「1点差にされたとき、やるべきことを徹底しなければ」
「リーグでは長いボールを入れる相手が多くなっている」

原田監督も4月の頃からこの2点に不安を感じていた。

それでもチームはクラブユースでベスト16入り、夏からは池田誉も復帰し、不安は杞憂に終わるかと思われた。池田と入れ替わるように七牟禮が骨折により離脱したのは懸念だったが2年生の宮崎陽の成長や堀友希の起用で対応できるという目算もあった。

ただ、このあたりから怪我人の影響が他にも出始めた。特に痛かったのがもともと手薄だった右サイドバック喜多涼介の欠場だ。これにより、相手から右サイド裏を突かれるてしまう。今季のプリスンスリーグでU-18が敗れた4試合中の2試合(第10節の日章戦・第14節の城西戦)も喜多が欠場したものである。

ベストメンバーが揃えられない中、10月に入るとさらに状況が過酷さを増す。この時期にチーム内でインフルエンザなど体調不良者が次々と発生したのだ。そこには中村蓮音など主力も含まれていた。試合ではサイドアタッカーの伊藤小次郎が一列下がってサイドバックで出場することもあった。

特に勝てばほぼプレミアリーグ参入戦出場圏内確実となる第16節では、試合前日に体調不良者が複数出た上に、強風を生かしたてロングボールを徹底する九州国際大附属にドロー。1対0で問題なくゲームを進めながら、不用意な1プレーでPKを献上。同点とされたあとにPKを獲得したがこれを失敗し引き分けてしまった。

後に原田監督はこうシーズンを述懐する。

「リーグ全体と考えると、九州国際大附属戦でのPKを与えるまでと、そのあとでまるで変わってしまった。PKを与えた1プレー、PKを失敗した1プレー。そういうところは分かれ道になる。あの1プレーで大きく変わった」

(後編へ続く)

reported by 藤原裕久

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