長崎サッカーマガジン「ViSta」

【年頭コラム】謹賀新年。2022年。長崎のJリーグ参入10年目に思う夢

あけまして、おめでとうございます。
2022年となりました。今年もよろしくお願いします。

今年は3年ぶりに天皇杯決勝戦が12月中に開催され、全国高校サッカー選手権大会の取材も自粛したため、かなり珍し目にサッカーと無縁な年頭を怠惰に満喫中です。

とは言え、県内の各地では初蹴りがあり、明日1月2日には高校サッカー選手権の2回戦で、10日にはV・ファーレン長崎も始動・その翌週の15・16日にはMD長崎が地域リーグ参入を目指して戦う九州各県リーグ決勝大会や第56回長崎県高校サッカー新人戦。そこからさらにV・ファーレンの沖縄キャンプ、宮崎キャンプ、それ以外にもキリン杯・・と、サッカー界のカレンダーは今年も目白押しなので、うまくやりくりをしながら取材をしていきたいなと。

また2022年と言えば、V・ファーレン長崎にとっても一つの節目の年で、2013シーズンに初めてJリーグを戦ってから、ちょうど10年目となります。

2012年のJFL33節 3対0で勝利しほぼJ2昇格を達成した瞬間。座り込んでいるのは勝った長崎の選手。この翌日に正式にJFL優勝が決定した

2013年:6位(J2)
2014年:14位(J2)
2015年:6位(J2)
2016年:15位(J2)
2017年:2位(J2)*J1昇格
2018年:18位(J1)*J2降格
2019年:12位(J2)
2020年:3位(J2)
2021年:4位(J2)
2022年:??

この10年間に、チームの指揮は高木琢也監督・手倉森誠監督・吉田孝行監督・松田浩監督と4人が務め、強化部長も服部順一部長・丹治祥庸部長・服部健二部長・竹村栄哉部長・山道守彦部長・竹元義幸部長と計6名が担当した。選手や他のスタッフとも数多くの出会いや別れがあって、順位的にもカテゴリー的にも経営的にも山あり谷ありでいろんなドラマのあった10年だった。そのあたりの各シーズンの隠された裏側などもViSta(ヴィスタ)で徐々に『長崎のJリーグでの10年(仮題)』として1カ月1本ペースで歴史を書いていこうかなと考えています。

ちなみにクラブ創設前史からの”正しい”全歴史を網羅した物語は、数年前から関係者の取材を進めていて、こちらは節目のときに出していきたいと思案中。

創設当時の2005年から2006年の主な練習場だった長崎県総合運動公園サッカー場。現在は改修されテニス場に。

ちなみに最初の書き出しは

誰が一番最初に言い出すようになったのはわからない。いつの頃からか、彼らが集まったときの話題は、いつもその話になったという。
「Jリーグのチームば、作らんばやろ」

という感じだったりします。何とか節目の年までに完成させて、全史の2022年に関するページのラストに「2度目のJ1昇格を達成した」と書きたいもの。

そんな夢を考える元旦です。ぜひ、叶えてほしいと思います。

あと、ここ2年ほどはコロナ禍で一部の近しい方としか会ったり、会食をしていないので、コロナ禍が落ち着いたら、ぜひ、いろんな場に呼んでほしいなとも思います。
そちらの願いも叶えていただければ幸いです。

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