長崎サッカーマガジン「ViSta」

【コラム】「ここから」の中島大嘉(国見高校)~国見と長崎と札幌と(前編)~

【夢という言葉を使わない17歳】

人の出会いでは第一印象が大きな要素を占めているというが、中島大嘉の第一印象は自分にとって、とても強ものだった。当時2年生だった彼に「選手権出場という夢について・・」と質問したときの返事は忘れられない。

1年前、U-18長崎県1部リーグでプレーしていた中島

「夢って言葉が好きではないんですよ」

ちょうど同じ頃、V・ファーレン長崎の取材で中村北斗さん(現アビスパ福岡アカデミーコーチ)から聞いた言葉があった。

「俺はずっとプロになるのが当然だと思っていたんですよ。そう思っていたからプロになれたんだと思う。ときどき「プロになるにはどうすれば良いんですか」と聞かれるけど、俺にとっては、そう思う時点で違うなって。なるのが当たり前だと思っていないと」

だから、プロになるのも、選手権に出るのも自分にとって夢ではなく、実現するリアルと語る中島に対して、プロになるタイプの子だなと直感した。

【転機となったプロへの練習参加】

そうは言っても、中島には全国大会での華々しい活躍や、豊富な年代別代表の経歴などはない。国見高校も全国の舞台から離れて久しい。何よりも当時の中島はプレーのムラが大きく、自身のポテンシャルを持て余しているようですらあった。

ゴール前で他の選手が必死に頭で競り合いにいく中、胸トラップでボールをおさめて「こんなプレーができるのか!?」と周囲を驚かせたかと思えば、イージーなミスでチャンスを逃す。ボールを受けようとし過ぎて、ポジショニングに失敗したりする。そのために昨年、『地域トレーニングキャンプU-17九州』に選ばれた際も、2月に行われた新人戦の県大会でも、強い存在感を見せつけることはできなかった。

新人戦県大会での中島は大きなアピールができなかった。だがプロへの練習参加が転機となる

中島にとって大きな転機となったのは、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)拡大前にJ1クラブのトレーニングに参加したことだろう。「一発かましてやろうと思った」という中島はそこで鼻っ柱をへし折られ、考え方が変わったと語っている。

「それまでは試合の中で、少し良いプレーができれば良いみたいなところがあったんですよ。でもプロの練習に行って帰ってきて、ここでちょっと良いプレーをしたくらいで満足してちゃ駄目だなって。もっとやらなきゃなって思った」

【名門復活と重なる幸運】

そんな中島にとって幸運だったのは、国見高校が上昇気流に乗りつつあることだ。小嶺忠敏監督(現 長崎総合科学大学附属高校サッカー部監督)が国見を去って以後、この高校サッカー界屈指の名門校は、長く苦戦の時代を過ごしていた。だが、瀧上知巳(現 東海大学熊本サッカー部監督)・堀川純一(現 対馬高校サッカー部監督)・小嶺栄二(故人)ら歴代監督の試行錯誤を経て、現在は木藤健太監督のもとで『小嶺忠敏後』の国見スタイルが開花しつつある。

それが昨年のU-18県高校1部リーグ優勝、九州プリンスリーグ参入戦勝利へとつながり、中島のポテンシャルを損なわない成長を後押した。上昇気流にあるチームは選手の成長をうながすだけでなく周囲の注目も集める。夏になる頃には、中島の高いポテンシャルはJクラブでも知られるようになっていった。

近年、各クラブの情報網は以前よりも一層広く深くなっている。1つのクラブが動けば、他クラブも遅れまいとすぐに動くのが常だ。その中で、国見の練習試合や練習をチェックした各Jクラブの強化担当者は、中島をこう評した。

「あの高さで、あれだけのスピードを持つ日本人はなかなかいない」
「素材は間違いなく一級品」

複数のJクラブから提示される大型契約の中、国見には元Jリーガーであった内田利広総監督・木藤監督、そして2年前まで長崎で強化を担当していた田上渉コーチらがいた。中島はプロの世界を知る彼らと相談しながら、加入するクラブを検討していった。

(前編:了)

reported by 藤原裕久

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