kumamoto Football Journal

【additional column】片山奨典選手の引退発表に寄せて

20191128片山引退コラム在籍10年目の片山奨典選手が今季限りで引退することが発表された。

クラブからのリリースにある本人のコメントは淡々としたものだ。しかし、かつて熊本に在籍し、彼とともに時間を共有した選手たち、あるいは現在のチームのコーチらが、それぞれに感謝の思いをSNSで発信していることからも、いかに慕われる選手であったかが分かる。

そういう人柄が、ピッチでのプレーにも現れていたのだろう。30代半ばというキャリアにあって、同一クラブでの在籍期間が最長になるというのは容易なことではない。毎シーズンそれなりの結果を残し、評価され、そして契約更新を勝ち取らなければならないからだ。たしかに、出場試合数やプレー時間そのものは、少しずつ減っていたかもしれない。しかしそれでも、ピッチに立った時の存在感やチームへの貢献度、そして若い選手たちに与える影響などから、欠かせない存在として認められていたことの証しである。

練習後の囲みでも、試合後のミックスゾーンでも、声をかけると「俺でいいんですか?」と答えるくらい常に控えめだったから、実のところ、在籍期間が最長とはいっても、それほど長い時間、言葉を交わした関係ではなかった。ただ、プレー中の様子を見ていれば、周りの選手たちに対して以上に、自分に厳しい選手であることはすぐに分かる。

トレーニングが終わってジョギングする時や、クラブハウスへ引き上げる際には、横に並んで若い選手の話を聞き、冗談も言い、時にはいじられて、笑顔を見せていたけれど、勝ったゲームの後でも表情はあまり変わらず、負けた試合の後の方がむしろ多めに言葉を紡いで、いつも自らのプレーに目を向けた。そういう振る舞いこそが、片山奨典の人間性を表していた。

Mr.熊本の1人であると同時に、Mr.律儀であったと思う。

練習の時、試合の時には、グラウンドに入る際、そして出る際に必ず、タッチライン際に立ち止まって一礼する。ずいぶん前のことになるが、アウェーでの水戸戦の際、顔なじみの記者さんを探しにメディアルームに顔を出し、にわざわざ挨拶していたことがある。横浜FC在籍時に世話になったから、というのがその理由だった。

彼が横浜FCから熊本に加わったのは2010年のシーズン途中。当時チームを率いていたのは、国見高の大先輩にあたる高木琢也監督(現大宮監督)である。彼が在学していた当時の国見には、1学年上に松橋章太、下には園田拓也と、後に熊本にも加わることになる選手もいたわけだが、走力や球際の争いなどサッカーのベースとなる部分、そしてプロとなってからも彼自身のプレーの根幹にあったもの、さらにいうと、練習に取り組む姿勢やメディアも含めた周囲の人たちへの礼節のある接し方は、小嶺忠敏先生のもとで過ごした高校時代に培われたものではなかったかと思う。

パフォーマンスが落ちていたとは思わない。しかし、J2復帰に向けてこれまで以上に周囲を引っ張ろうという強い思いで臨んだシーズンだったからこそ、「力になることができなくなってきた」という決断の理由にも、チーム全体にまで思いを巡らせる彼らしさが表れているように思う。

ホーム最終戦となる福島戦の後に予定されているセレモニーで彼自身の思いは語られると思うが、できるだけ長い時間、ピッチを駆ける姿を見せてほしい。

20191128片山引退コラム

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