【きちルポ】フライブルクで能登の子どもたちと交流①サッカーが国境を超える力は本物だ
▼ 被災地の今を見てきた
金沢からの電車が七尾についた。24年8月7日。乗り換えまで時間があった僕は、少し駅近くを散策することにした。先日購入した宮本輝の小説でここが舞台になっていたなぁとか思ったりもしたけど、すぐに僕の視界には震災の確かな爪痕が飛び込んでくる。
崩壊しかけた3階建ての建物がある。
つぶれている家屋がある。
ブルーシートで覆われた家が次々に現れる。
しばらく足を止めて、息を吸い込んで、それからまた少し歩きだす。電車の時間が迫ってきた。少し駆け足で駅へと向かい、穴水行の単線電車に乗り込んだ。自然豊かな風光明媚な風景を電車が抜けていく。でも路線には傷を抱えた家々がいくつも並んでいる。
穴水駅前の売店で少しのお土産と食べ物を買い、バスに乗り込んだ。行先は輪島。震災被害が最も大きい場所の一つだ。バスのエンジンがかかり、山間の道を進んでいく。進めば進むほど被害状況が大きくなっているのがすぐにわかる。
輪島市に入る。全壊状態の家がたくさんある。崩壊した家屋が道にはみ出していたりする。横倒しになったビルがそのままの姿でそこにある。密接した仮設住宅が並んでいる。
ふと、呟きが口からこぼれてきた。
「あの子たちはここで被災して、あれからここで暮らしているのか」
輪島の今。
目を逸らさないで受け止めて、復興に向けてまだまだ時間もマンパワーも必要で。支援といっても難しいのは難しいけど、でもできるところから少しずつでも思いを届けて、支援の輪を広げていきたいですよね。 pic.twitter.com/tssIKNxUKU
— 吉之伴@🇩🇪サッカー指導者/サッカーライター (@kichinosuken) August 7, 2024
▼ 能登とフライブルクがつながった日
一時帰国中に輪島に来ることになったのは結構急な話で、いろんな縁が絡み合ってのことだった。きっかけから話すと長くなるが、そこから話さないと全容は見えてこないのでぜひお付き合いいただきたい。
あれは6月下旬だったと思われる。親密な付き合いのある一関の住職からメッセージが届いた。
能登半島で震災ボランティアをしているときに知り合った人が、被災地の中学生を連れてパリオリンピックに連れていくプロジェクトをしている、と。できれば地元の人と交流を持ったり、被災地報告会をしたいのだけど、オリンピック開催中のパリだとテロ対策もあり、学校関係などでそうしたイベントはできない。
どこか別の場所でできないだろうか、という話になった時に僕のことを思い出し、「フランスではないけど、パリからなら電車で3時間ちょっとで行けるフライブルクはどうだろう」、と提案してみたところ、「ぜひに!」という展開になった。
フライブルクでは東日本震災後に《ジャパンディ》と銘打ってチャリティーイベントを毎年行っており、この2年はその一関の住職がきてくれて、現地の人に震災時の話をダイレクトでしてもらえている。今年は能登で震災があったのを受けて、僕らも深く心を痛めていたし、自分達にも何かできることがあったらやりたいという思いを抱えていたところだった。
先方からのご要望はこんな感じ。
1:被災地報告会を開き、感謝を伝える会ができるか?
2:能登からの子たちはサッカー部に所属しているので、地元の子どもたちとサッカー交流ができるか?
3:ホームステイができるか?
4:バーゼル空港まで迎えに来れるか?
子どもたちとスタッフがパリ、そしてフライブルクにくるのは3週間後と期限は迫っている。いろんな要望に応える段取りができるだろうか。先方もそのあたりを気にしている。でもせっかくの機会だし、能登の子どもたちにはぜひいろんなことを体験してほしいという心意気はよくわかる。
(残り 3536文字/全文: 4941文字)
この記事の続きは会員限定です。入会をご検討の方は「ウェブマガジンのご案内」をクリックして内容をご確認ください。
ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。
会員の方は、ログインしてください。
外部サービスアカウントでログイン
Twitterログイン機能終了のお知らせ
Facebookログイン機能終了のお知らせ