中野吉之伴フッスバルラボ

【きち日記】ユーロ編④サッカー小国ジョージアがもたらしたセンセーションとサッカーファンとして体感できたスタジアムの雰囲気

▼ 初出場初決勝T

ジョージア代表が歴史的快挙を成し遂げた。今回のドイツ欧州選手権では建国以来本大会初参戦。グループFではポルトガル、チェコ、トルコと同組になり、初戦のトルコ戦は1‐3で敗れたものの、2戦目のチェコに1‐1で引き分け、3戦目ではポルトガルに2-0で勝利し、見事決勝トーナメント進出を決めたのだ。

ポルトガルはすでにグループリーグ突破を決めており、スタメン8選手を入れ替えて臨んだ一戦だったとはいえ、それでもジョージアが勝つことを予想した人は極めて少なかったのではないだろうか。

決勝トーナメント1回戦で強豪スペイン相手との試合でも大健闘。勇敢な戦いぶりから先制点を挙げ、カウンターから何度も好機を演出。最終的にはスペインのクオリティに圧倒されることにはなったが、全力で戦いきった姿には大きな拍手が送られた。

涙を浮かべるジョージアファンが思うは哀しみよりも誇り。

センセーショナルな勝利と決勝T進出があったからだけではなく、僕もジョージアにはいろいろと思うことがある。なぜかというと、かつてSCフライブルクには数多くのジョージア人選手が活躍していたからだ。

2000年代初頭、当時また残留争いが定位置だったフライブルクは経営面でも小規模で、予算規模の大きい2部リーグクラブもあるほど。フライブルクは知恵を振り絞り、独自の選手補強案を練り上げていった。

中心人物はフォルカー・フィンケ。フライブルクを2部から1部へと導き、明確なチーム戦術でオフェンシブなサッカーを浸透させ、育成アカデミー設立にどこよりも早く動いた人だ。

さらにフィンケは少額の移籍金で獲得できる選手補強ルートの確立にいそしみ、その中で生まれたのが《アフリカルート》と《ジョージアルート》だった。

アレクサンダー・イアシビリ
レビン・コビヤシビリ
レバン・チキシビリ

この3人は主力としてフライブルクの一時代に貢献した。イアシビリは2001年フライブルクとともにUEFAカップに参戦。決勝トーナメント3回戦では当時小野伸二も所属していたフェイエノールトと対戦している。

コビヤシビリはその後2003年に当時強豪だったシャルケへと移籍し、CL出場も果たしている。フィンケがいなければ、ジョージアとドイツの間にコンタクトは生まれなかったかもしれないし、こうして世界が注目する舞台で躍動する代表が誕生することもなかったかもしれない。

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