【きち日記】ユーロ編①ポーランドとオランダサポーターの応援に涙あふれたベルリンでの対戦。ユーロは楽しい
▼ サッカーの祭典が帰ってきた
6月15日、欧州選手権ドイツ大会が開幕した。注目の開幕戦でドイツ代表がスコットランド代表に5-1で快勝した影響も大いにあり、一気に盛り上がりを感じる日々となっている。
2021年大会はコロナ禍の影響で延期もありパブリックビューイングがないまま、加えて11か国12都市での開催という分散型だったため、どこかファンが置き去りになった大会となってしまった。
サッカーファンはサッカーの試合を観戦するためだけに開催国を訪れるのではない。多くのファンはチケットを持たずに訪れる。拠点を決め、長期滞在し、日中は観光に出かけたり、ファンゾーンで他会場の試合を楽しんだり、同じように欧州中から集まる他国のファンと交流を持ったり、一緒にビールを飲んだりする、まさに《祭典》なのだ。
取材で訪れたベルリンのファンゾーンではオーストリアファンがポーランドファンの記念写真を撮っていた。笑顔で握手をし、健闘をたたえ合う。昼からビールを飲み、陽気に笑い、ポジティブでほほえましいやり取りがそこらじゅうで行われている。
全てが素晴らしいというほど僕は楽観主義ではない。そうではないことだって起こってしまう。悲しいけど。セルビアに対して、クロアチアやアルバニアのサポーターが辛辣なブーイングを飛ばすことがニュースになっていた。
「セルビアに死を!」という強烈な言葉が飛び交うことに、セルビアサッカー協会は大会からのボイコットを検討していたほど。
オーストリアサポーターの中にはごく少数ながら極右思想のメッセージをバナーで掲げる人もいた。オーストリアサッカー協会は即座に対応し、そうした行為を許すことはできないと声明を出している。
当事者には僕らにはまるで分らない苦しみや葛藤やわだかまりがある。どれだけ理性的になろうとしても、心の底でそれを許せないほどの憎しみや怒りや憤りがあることもわかる。
哀しみの連鎖はどこかで断ち切らなければならないというのは誰だってわかる。でもそれができないほどの何かがある人に対して僕らは言葉を持つことはできないのだろうか。
僕は政治家ではない。理想家でもない。宗教家でもなければ、哲学家でもない。
だから、だからこそ、平和に試合を待ち望んで、一緒に楽しんで、勝っても負けても、この場にこられたことを、この場で戦うチームを応援することを、みんなで分かち合える空間があってほしいと願うばかりだ。
スポーツはそうであってほしい。
そしてベルリンのオリンピアスタジアムの試合前にはそんな空気が充満していた。
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