【ゆきラボ】新しい環境に慣れるって大変/後半は外国人参政権の話
こんにちは!ゆきラボです。あっという間に5月末ですね。4月に続き5月も、新しい住居での片付けや、引っ越しに伴う手続きに追われているうちに月末です。永遠に終わらないTodoリストに追われているようで、さすがにちょっと息切れしています。
ものすごくセンスの良い部屋に住みたいわけでもなければ、整理整頓や掃除が完璧に行き届いた部屋に住みたいわけでもありません。ただ、それでも多少のこだわりはあります。仕事をするにせよ、くつろぐにせよ、使い慣れたものや気に入ったものが周囲にあって、かつ、最低限度には片付いていないと、落ち着かないし気が休まらないのです。
引っ越し序盤。前回の引っ越しで、最後に観葉植物が残って大変だったので、今回は早めに運び込んだ
今回の住まいは、前の部屋から近いだけでなく、広さも間取りも全く同じ。ただ、壁紙や床材や作り付けの収納が違うので、同じ空間のようでいて、住み心地も雰囲気もがらりと変わりました。引っ越し作業を始めたばかりの頃は、そっくりだけど微妙に違うパラレルワールドにいるようで、自分がどちらにいるのか、本気で分からなくなったりしていました。
今まで自分たちが住んでいた見慣れた空間と、つい先日まで他人が住んでいた見知らぬ空間。通常の仕事や家事と平行して、断捨離したり、照明を付け替えたり、ちょっとしたスペースにフックをつけて収納スペースを増やしたり、自分たちにとって居心地が良いようにどんどんチューニングしていかないと気が済まないのは、なまじ以前と同じ間取りの部屋に越してきたせいなのかもしれません。
こちら新居、長男の部屋。大家さん撮影。たぶん3月下旬くらいに撮っているので木々に緑がない
退去時に撮った旧居、長男の部屋。緑が眩しい
先日、ある映画のレビューを偶然目にしました。苦手そうなジャンルなので、実際には観なさそうな映画でしたが、映画の解説そのものはとても面白く、なるほど、と腑に落ちたことがありました。「他人の家というのは本質的には異世界」だということです。
家というのは、大なり小なり、そこの住人ならではの好みや価値観やルールが詰まっている場所です。誰かの家は、住み手にとっては日常でも、訪問者にとっては非日常の世界。そこに足を踏み入れるということは、相手のとても個人的で内面的な部分に踏み込むということでもあります。物の置き方や使い方、掃除の仕方、ちょっとしたことが素敵だと感じたり、逆に妙に違和感を感じたりしたこと、みなさんにもないでしょうか。
例え部屋が空っぽになって誰もいなくなっていたとしても、住み慣れない場所には「なんでこんなところに棚つけたんだろう」とか「洗面台のこの感じ、微妙だなあ」とか、なんとなく前の住人の生活の痕跡のようなものがうっすら残っています。それと自分の肌感覚とが早くなじむように、今日も少しずつ部屋に手を入れています。
掛け時計をつける穴を開ける
余談ですが、引っ越す前に住んでいた部屋では、私たちの前にはご年配のご夫婦が住んでいたのだそうです。一度も顔を合わせる機会はなかったのですが、このご夫婦と私とは、なんだか妙に住まいの肌感覚が合う方たちでした。壁のこの辺に写真を飾りたいな、という位置にちょうどフックが挿せる穴が開いていたり、ご夫婦の手作りだと思われる棚が、私にとってはとても丈夫で使い勝手の良い棚だったり。ほんのちょっとした一致ではあるんですが、たぶん、日々の暮らしぶりや、住まいに対する価値観が、わりあい似ている人たちだったのだと思います。
今回、私たちの退去に際して、大家の希望で、室内にもともとあった古い家具類は全部処分されることになりました。捨てるにはしのびないものもあったので、外して新居に運びこめる物は運び込みました。下の写真はそのうちの1つ。丈夫だし、仕事机の横に置いておくのに絶妙なサイズで、重宝しています。
元々別の形だった家具をリメイクしたのか、家具を解体した後の廃材か何かでつくったっぽい雰囲気。上部が少し斜めにカットしてあるのが好き
さて、後半は投票まで2週間後に迫った選挙の話です。
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