中野吉之伴フッスバルラボ

【追悼】クラマーとベッケンバウアーとの特別な関係。W杯組織委員長としてみせたサッカーへの純粋な思い

▼ クラマーからベッケンバウアーへ

選手として、監督として、ワールドカップで優勝した《カイザー》フランツ・ベッケンバウアー。

選手時代のエピソードについて前編でまとめてみたので、今回は監督として、そしてドイツW杯組織委員長時代のベッケンバウアーに焦点を当ててみたいと思う。

ベッケンバウアーはシンプルな視点でサッカーを掘り下げる。それは選手時代も、監督時代も変わらない。

「ボールをいくら支配していてもサイド攻撃ばかりでは怖くはない。中央にずれが出た時にワンツーパスで抜ければそこにはゴールがあるんだ。サイド攻撃が何のためにあるのかを忘れてはいけない。いつ、どこで、どのようなプレーをするために、どんな技術が必要なのか。そこへの詳細なアプローチがなければ、選手は戦い方を身につけることはできない」

この言葉はサッカーというスポーツを考える時の原点に値するものだろう。戦術が複雑化し、フィジカル面やメンタル面でどんどんスピードが要求されても、サッカーのあるべき姿はずっとそのままだ。

あるときバイエルン時代のマリオ・ゲッツェに対してこんな指摘をしていたのが印象的だった。当時のゲッツェは14年ブラジルW杯でドイツを優勝に導くゴールを決めて、国民的大スターになっていた。そんなゲッツェに対して、「非常に素晴らしいタレントだが、ボールを失うことの意味がわかっていない。その辺りの認識を変えていかないとダメだ」とぴしゃり。

そんなベッケンバウアーは指導者として、恩師に当たるデットマール・クラマーからチームワークを作り上げるための規律の大切さだけではなく、詳細な分析力を学んだという。クラマーによる代表やバイエルンでのミーティングは選手がついていけないほど細部に及ぶことが少なくなかったようだ。

「誰もが理解できるものではなかったかもしれない。ゼップ・マイアーはよく居眠りをしていたものだ(笑)。だがデットマールは本当に相手チームについてどんな詳細なことも全て知っていた。あの貪欲なまでの緻密さは私が監督として仕事をするときに大事にしたところだ」

世代別代表での出会いを経て、バイエルンで再会した2人。欧州チャンピオンズカップ3連覇を果たしたチームにおいて、ベッケンバウアーはクラマーの右腕的存在だった。「サッカーはスペースと時間のゲームだ」とクラマーは話し、ベッケンバウアーはそれを見事なまでに体現でき、味方に伝えることができる選手。2人は周囲がびっくりするほど親密な関係を築き上げ、それが途絶えることはなかった。

現役引退後もそれこそ毎週のように顔を合わせていたという。

ベッケンバウアー60歳の誕生日を記念して企画されたクラマーへのインタビュー記事では2人の関係性が興味深く語られていたので、一部ご紹介したい。

—おそらく世界中でベッケンバウアーとダブルベットで寝たのはあなただけでは?

「そうかもしれないね。あれは1963年だった。世代別代表だ。フランツは規格外の才能とキャラクターを持った選手で、18歳ですでに父親だった。ドイツサッカー協会の育成部門担当はそんなベッケンバウアーを理解できなかった。みんなドクターを獲得したりという高学歴な方々だ・教育学者も一緒になり、『チームメイトの両親は何と言っているんだ?』とか、『ベッケンバウアーは人間としてどんな影響力を持っているのか』とか話し合っていた。そんな中で出てきた一つの提案が、『私が合宿で彼と寝食を共にし、より互いを理解し合ってみたらどうか』というものだった」

—あなたは彼にとって父親のような存在に?

「彼にはとてもエネルギッシュで真剣な父親がいたよ。フランツは父親の役割を必要としていなかった。だが私たちは同じ波長で話をすることができた。『あなたがベッケンバウアーを発掘したのか?』と聞かれることがあるが、いい選手というのはおのずから発見されるものだ。道端や空き地、小さなクラブ。彼にとって最初の監督は足が1本しかなかった。パスのデモンストレーションをすることはできなかった。だが彼は子どもたちに心を伝えた

(残り 3350文字/全文: 5022文字)

ユーザー登録と購読手続が完了するとお読みいただけます。

ウェブマガジンのご案内

日本サッカーの全てがここに。【新登場】タグマ!サッカーパック

会員の方は、ログインしてください。

1 2
« 次の記事
前の記事 »

ページ先頭へ