中野吉之伴フッスバルラボ

【きちルポ】「3年間ホケツだった僕がドイツで指導者になった話」でお蔵入りになったお話①

高校3年生、ドイツサッカースクールに参加した時の写真。ルーマニア代表ドリネル・ムンテアヌと1.FCケルンのクラブハウスで

おかげさまで8月に販売された拙著「3年間ホケツだった僕がドイツで指導者になった話」は多くの方に読んでいただけています。アマゾンのレビューも、直接送られてくる感想も、友人・知人・家族あてへのメッセージも、ありがたいことにとても好意的な反応をいただけています。

2年以上かけて丁寧に作り上げた本です。編集さんと一緒に細部までこだわりました。

そのためというか、本の構成や方向性、あるいはページの都合で泣く泣くカットにされた文章もかなり残っています。

そこでスピンオフというか、番外編ということで少しずつご紹介していきたいと思います。

今回は、–はじめに–の候補となった部分です。

▼ 輪の中の人、輪の外の人

「この試合、絶対に勝つぞ!俺たちの力を全部出すんだ!」
「オウ!」
「やってやるぜ!」
「最後まであきらめんなよ!」

試合前の円陣で気合の入った声が飛び交う。22人の選手がピッチに散らばり、主審が笛を吹く。試合が始まると両チームはボールをめぐって激しく体をぶつけ合い、ゴールを目指す。ふとできたスペースに入り込んでシュートへ持ち込む。

必死にスライディングをして、でもあと一歩届かなくて、こぶしをグラウンドにたたきつける。試合終了のホイッスルが鳴り、抱き合って喜ぶチームと涙にくれるチーム。勝った、負けたで感情がはじけ飛ぶ。

きっと素敵な光景だ。

そんな様子を外から眺めているたくさんの人たちもいる。僕は《そっち側》の選手だった。普通の高校サッカー部で、いわゆる《ホケツ》の選手だったんだ。自分の全力をぶつけようにも、ぶつける舞台がないまま、3年間が過ぎていった。

一生懸命やっていたら、必ずチャンスはくると思っていた。自主練を頑張っていたら、どこかで急成長するときがくるって信じていた。それこそ神様は見ていてくれるはずなんて思ったりもしていた。

でも来なかった。どうやら、青春物語というのはみんなに準備されているわけではないようだ。

高校最後の公式戦が終わった後、仲間と泣くこともできないまま、持て余した感情を引きづりながら、家へと帰っていったのを今も覚えている。

「大会が終わったらあとは大学受験」

そんな風に切り替えることが常識なんだろうけど、僕はそれができないまま、でもだからといって、どうしていいかわからないまま過ごしていた日々がかなりあった。スッキリしない日々。心から満足できない日々。でも何とかする術もわからない日々だった。

(残り 2461文字/全文: 3652文字)

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