中野吉之伴フッスバルラボ

【きちルポ】至高のW杯決勝戦を堪能したからこそ、子どもたちの安心と安全と基本的人権を守るために大人ができることを考えたい

▼ 至高の決勝戦

カタールワールドカップが終わった。

アルゼンチン代表とフランス代表との決勝戦は、これ以上ないほど、サッカーの魅力が詰まった素晴らしい激戦となった。個々のしかけ、チームとしての戦略、試合の流れを作り出すかけひき、限界突破を繰り返す選手たち。

息もつかさぬ展開の連続に、見ている自分達も疲労困憊だ。気が付いたらぎゅっと握りこんでいた手のひらにびっしりと汗が。窓の外は氷点下で白景色だが、テレビの前の僕らの気持ちは完全にカタールへと飛んでいた。

メッシとアルゼンチンの物語は、ロマンティックで、ドラマティックで、エモーショナルで、センチメンタルで。それにしてもブエノスアイレスで無数の人々が、喜びの雄たけびを熱狂というのならば、僕が普段している感情の爆発なんて、まだまだ幾重ものプロテクターで抑えられているものでしかないのかもしれない。

それにしても今回のW杯では優勝を達成したアルゼンチンだけではなく、躍進を果たしたモロッコやクロアチアからも、グループリーグではドイツやスペインを破った日本からも、アルゼンチンを撃破したサウジアラビアといったチームからも、底知れぬパワーを感じさせられたものだ。

感情を解放することで、どれほどの力を引き出すことができるのかというのを目の当たりにすると、人間というのは、まったくどこまでポテンシャルを秘めているのだろうと驚かされるばかりだ。

それは同時に、サッカーが持つ魅力の奥深さ全てを色濃く表しているといえるのかもしれない。

サッカーとは、かくも素晴らしきスポーツだ。

▼ W杯は大成功だったのか?

そうやってサッカーのすばらしさを心地いいまで堪能したあとだからこそ、カタールワールドカップ開催の是非に関しては、忘れることなく、きちんと精査する姿勢がとても大切だと思う。

急ピッチで開催へ向けて進められた舞台裏で、どれだけ多くの人が命を失っているのか。LGBTQ(性的少数者)への差別がどれほど酷なのか。女性の権利がいかほどまでに侵害されているのか。

人権とは何なのかを僕らは考えなければならない。

遠い異国のピンとこない話でしかないのか。
人権問題も政治問題だから自分達には手も足も出ない問題だというのか。

違うのだ。自分たちの身の回りに似た様な話はある。

日本でも、ドイツでも、不当労働により健康を損ない、心を患い、尊い人命が犠牲になっている例は人知れずたくさんある。差別は表立たないところで、目立たないように、でも常に存在している。いじめを見て見ぬふりする大人を見て、子どもたちは自分達の許容範囲が危険なまでに広げている。

「悪気はなかった」「つい気持ちが高ぶって」という言葉で、悪しきことを平気でやっているのに気づいていないこともたくさんある。

それを見て見ぬふりをしていては、子どもたちが、安心して未来を見れないではないか。

できることから探して、始める。そしてそうした人たちが手をつないでいく。今回のW杯もぜひそうした契機にしてほしいと願う。

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