中野吉之伴フッスバルラボ

【無料コラム】大変なことがあった時だからこそ、日常を大切にしたい。幸せで平和な時間と空間を感じたサッカー大会

サッカー大会に呼ばれた。

指導者としてではなく、この日はプレーヤーとしての参加だ。僕が所属しているSVホッホドルフでは毎年この時期に《スポーツウィーク》としていろんなイベントを行う。幼稚園児や小学生のサッカー大会のほか、地元の他団体との大会も行われる。

参加団体はスポーツクラブではない。

音楽クラブ、釣りクラブ、消防団、カーニバルクラブと多種多様。そこに育成指導者チームを組んで僕らも参加するのが伝統になっている。

みんながみんな《ガチ》でサッカーをやってるわけではないから、楽しむことがメインの大会。でもみんな試合となったら本気。それに音楽クラブ、釣りクラブ、消防団、カーニバルクラブといってもかつてサッカーもやっていた、あるいは今もやっている人が多くいたりする。

それこそ僕が今監督をしているU19でプレーしている選手もちらほら。年齢制限はないからU13の子どもも元気に出場してたり。

こうしたスポーツ大会が開催されるのは実に3年ぶりだ。コロナ禍でこの2年間はこうした地域の人との交流もままならない状態だった。久しぶりの大会をみんな心待ちにしていた。

天気は快晴。青空がまぶしい。

試合はハーフコートで5人+GKの15分。交代は自由。5チーム総当たり戦で最後に3位決定戦と決勝戦が行われる。

今年は天然芝の状態がとてもいいのでプレーをしていて気持ちいい。何よりこうしてプレーヤーとして試合ができるというのが久しぶりすぎてワクワクが止まらない。

はじめてプレーする仲間も多い中、ボールを通してコミュニケーション。もちろん技術レベルやフィジカルコンディションはみんなばらばらだけど、サッカーを知ってる人がほとんどだからプレーをしていてストレスが少ない。

声を掛け合ってマークを受け渡す。相手のカウンターを遅らせるために素早く相手につめる。マイボールを大事にする。ボールを回してずれを作る。スペースに入り込んだらパスが入ってくる。相手をひきつけていたら、スペースに顔を出してくれる。カウンター時には素早くボールを運ぶ。逆サイドにつめてきてくれるからチャンスも作りやすい。

楽しいなぁ。

僕は心から満たされていくのを感じていた。サッカーをしている実感がそこにはある。走って、ぶつかって、転んで、立ちあがって、ボールとプレーをして、仲間とつながって、ゴールに喜んで、失点に悔しがって。

息子や奥さんも応援に駆けつけてくれた。地元の人もふらっと足を運んだり、知人・友人が出ているからとグラウンドにやってきた人たちもたくさんいる。飲食の販売もしていたので、みんなフライドポテトやソーセージ、シュニッツェル(カツレツ)を食べたり、ビールを飲んだりしながら、試合を見て楽しんでいる。

試合が終わって戻ってきたら、小さな子供が僕のところに来て、「ないすぷれー!」ってほめてくれた。「ありがとう!」と笑顔で言ったら、親指をグッと立ててガッツポーズをしてくれた。

ハーフコートで試合をしているから反対側のスペースは空いている。そこで子どもたちが思い思いにサッカーをして楽しんでいる。隣の人工芝も開放してある。誰からも邪魔されない。15歳くらいの子どもたちが8歳くらいの子どもたちと一緒にボールを蹴っている。まだ2歳くらいの子どもが休憩中のパパと一緒にボールを使って遊んでいる。

ああ、幸せで平和な時間と空間がここにある。

サッカーって、スポーツって、だから素晴らしい。こうやってみんなを笑顔にして、夢中にして、それをみんなで共有して。

夏時間のドイツは21時半ころまで明るい。そんな時間まで思いっきり遊べるって最高じゃないか。親にしてもグラウンドにいるなら大丈夫という安心感もある。僕らはお互いに支え合うし、守り合うし、助け合う。くたくたになるまで遊びきって、家に帰って、楽しかったなぁってにやにやしながらベットに入って、ぐっすり家で眠れることって、最幸じゃないか。

サッカーって、そうあるべきなんだ。

成長するために、歯を食いしばって頑張って努力して死力を尽くしてやり遂げることだって必要だよ。でもそれだけじゃダメなんだ。コンフォートゾーンにいつもいるだけで、そこから飛び出してチャレンジしないのはもったいないと思うよ。でも飛び出していくためには自分が快適にいられる確かな環境が欠かせないんだ。

いま、新しい書籍に取り掛かっていて、その中で僕のこれまでの半生をいろいろと振り返っている。ドイツに来たきっかけについても取り上げている。僕がドイツに渡ったのが21年前だからきっかけがあったのはさらに前のこと。

当時日本で指導していたサッカークラブ《FC開三》。そこで日本サッカーのグラスルーツにおける様々なものに触れ合っていた。いいことも悪いことも。たぶん悪いことの方が多かったと思う。

だから、ドイツに飛んで、ドイツのグラスルーツそのままを体験して、サッカーだけじゃなくて、地域と結びついて、世代間がつながり合って、コミュニティとして機能しているクラブ文化を体現できるようになりたい、それを日本にダイレクトに伝えられるような存在になりたいと思ったんだ。

ドイツにきて、C級ライセンスからB級ライセンス、そしてA級ライセンスを獲得した。ブンデスリーガクラブのSCフライブルクの育成アカデミーで2度研修を受けた。元ブンデスリーガクラブのフライブルガーFC、スイスの強豪FCバーゼルと育成パートナー契約を結んでいるFCアウゲンで監督を歴任した。

いろいろあって、解任も辞任もたくさんあって、幼稚園児から成人チームまであらゆるカテゴリーで監督をして、プロを目指す子どもたちからサッカーを始めたばかりの子どもたちまでと向き合ってきた。

これまでSVホッホドルフではどちらかというと息子たちがプレーするチームの応援役だったり、指導者をするとしてもサポート役というか、いつもアシスタントコーチとして関わってきていた。でも今季から本格的に監督として、2チームで指導者をしている。育成コンセプトを作るプロジェクトチームの責任者の一人でもある。

クラブの中にがっつり入って、発言権もあってという立場で関わって。この前、ふと思ったんだ。

あ、俺は自分がドイツに渡る前に思い描いていてたクラブで指導者として関われている、って。

この風景の中で指導者がやりたくて、この風景が日本でも当たり前になるようにしたくてドイツに渡ったんだ、って。

プロ選手を目指す子どもたちが集まってくる育成するクラブで指導者をするのに興味がないわけではない。フライブルガーFCにしても、ちょっと前までは正しいビジョンで、育成コンセプトを作り上げようとしていたし、そのなかでやれていたことの充足感だってあった。もしSCフライブルクで指導者ができるチャンスが訪れたとしたら、何が何でもやってみたいという思いだってある。

でも、僕にとってサッカーってなんだというこの思いは絶対に失ってはいけないと改めて思ったんだ。

日本で悲しい事件が起こった。ドイツでも大々的に取り上げられている。SNSを見ていたら、それ関連のものばかりであふれている。いろんな人がいろんなことを言っている。ざらつく感じがしてしまう。

ホッホドルフの育成部長からは悔やみのメッセージが僕に届いた。痛ましい事件に胸を痛め、僕らのことを心配してくれている人がいる。

僕だって思うことはいろいろある。考え込んでしまうことがたくさんある。たぶんみんなそうなんだろう。

でも、だからこそ、大変なことがあったからこそ、僕らは僕らの日常を大切にしていかないといけないんだ。大会が終わった後のグランド脇で、みんなとビールを飲みながらそんなことを思ったんだ。この平和で幸せな時間と空間を僕らは守らないといけないし、子どもたちのために大事にしていかないといけないんだ。

のびのびと自然体で。自分のありのままが出せて、仲間のありのままを受け止めて。ケンカもするけど、仲直りができて。困っている仲間がいたら助けて、困っている自分がいたら助けてもらって。大人が大人の経験を伝えて、子供が子供のアイディアを伝えて。世代を超えたつながりがあって、ここが僕の、私のホームだっていつまでも感じられて。

それがサッカーの、スポーツの持つ本当の力だ。

 

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