【きちゼミ】子供たちのやる気を奪わないために僕らが気をつけなければならないこと
【きちゼミ】
僕らはいつ、どこで、何に、どんなふうに心から本気になるかは誰にもわからないからこそ、そうした出会いがくるまで、自分が好きなことに楽しく関われる環境を作ることってすごく大切なんだと思うんです。WEB講習会申し込みフォーム
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▼ モチベーションってなんだろう?
以前「子供たちのやる気を奪わないコーチングメソッド」というタイトルで、WEB講習会を開催した。数年前には池上正さんと藤代圭一さんと一緒に「がっかりスイッチを押さないためにできること」というのをテーマに対談を行った。
よく「うちの子供たちはなかなかやる気のスイッチが入らなくて」とか、「うまくモチベーションが高まらないんですよね」みたいな相談を受けたりするが、それってそもそも子どもたちに問題があるのか?
ということで、改めて《モチベーション/やる気ってなんだ?》というのをまとめてみたいと思う。
僕らはみんな内的欲求/衝動を持っている。それこそ小さい子だと《パパやママにかまってほしい》とか、《思う存分走り回りたい》とか、《みんなと一緒に遊びたい》という思いが自然と湧き出てくるものだ。
そんな時にちょうどいい具合の外的刺激があると、僕らは無理なくモチベーションを持って取り組むことができるという図式が出来上がりやすい。
例えば「ボールで遊びたい」「ボールで遊ぶのって楽しいな」という内的欲求が出てきているときに、「サッカーっていうボールを足で扱ってゴールというのにシュートを決めるスポーツがあるんだ」というのを知れたら、「なにそれ?」と興味を持ち、「面白そう」「やってみたい」という好奇心につながっていったりする。
そして実際に自分の体を動かして、思っていたよりも足でボールを扱うのは難しいけど、でもいろいろとできることもあったし、コーチが笑顔で接してくれたんだ、というポジティブなフィードバックを持ち帰ることができたら、次もまたやってみたいというサイクルに入ることができるはずだ。
こうした子供たちの持つ内的欲求と向き合うことを僕らは忘れてはならないのだと思う。触れ合う最初だけの話ではない。いつだってそうしたバランスの中で、僕らは揺れていたりするんだ。
最初は楽しかったのにちょっとしたら「これはやっちゃだめ」というルールばかりで抑圧されてしまうと、心情としては「自由に動けない」「じっとしているのは大変」「思っていたのと違うなぁ」って気になってきたりするかもしれない。
小さいころはそうした心の変化に自分で気づけないことだって多い。「ドンピシャではないけど、楽しくないことはない」という感じだったら、他にものすごくやりたいことを我慢しなきゃいけないなんて事態じゃない限り、「これはこれで楽しいのかな」という思いを持つことだって普通にある。そしてそれが悪いことなわけでもない。
外的な刺激も必要だし、大切だ。そうしたことで今まで知らなかったことに気づいたり、興味を持つきっかけになったりもするのだから。
ただそれがどんどん強くなってきて、自分のイメージと違うものになってしまったら、あっという間にストレスや圧力になってしまうということを考慮しなければだめなのだ。内的な欲求がないままに、「こんなのあるよ。やってみなよ。君の将来のために大事になるよ」みたいな《大きなお世話的》外的刺激を与えても、本質的な好奇心や興味にはつながらない。
ちなみに「お前のためを思って言ってるんだ!」というようなセリフで暴言を吐いたり、暴力を正当化しようとする人がいるけど、子供たちに響いたりはしない。子どもからしたら何を言っているかなんかわからない。なので《お前のため》を思うなら、そんなこと言うなということだ。
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