【きちログ】就労ビザを手にしたあの日。強制送還も覚悟した僕をたくさんの人が親身に助けてくれた
きちログ~渡独後の歩みを思い出しながら徒然につづる回顧録~
前回のきちログ「突然持ち掛けられたオファー先は僕が探し求めていた環境。そして選手として、指導者として初めての移籍を経験した」
▼ 僕はどうやってメディアの世界で働けるようになったのか
唐突ではあるけど、僕らは志だけでは生きていけない。
お金がなければ暮らしていけないし、人間はだれでも自分で糧をどうにかしなければならない。
「ドイツの地域に密着したサッカークラブで指導者として、選手として、ドイツの人がどのように生活して、その中でサッカーが、どのような意味を持っているのかという様々なことを肌で感じて、全体のメカニズムを体感して、スポーツが持つ本当の意味をさぐりだしたい!」
そんな自分の思いをどれだけ熱く語ろうともそれが異国に滞在する許可になりうるわけではない。
「それは素敵な思いですね。でも外国人のあなたはどうやってここで暮らすんですか?どこで、どのように収入源があるんですか?あなたがこの国で生活することがこの国に対してどんなメリットをもたらすんですか」
そんな風に言われておしまいだし、それこそが正論だ。異国で暮らすというのはその国のルールにのっとった形で許可を手にできなければならないのだから。だから僕はドイツに渡ってまず、大学生として学生ビザを手にすることを目指したわけだ。
ただ実際に外国人学生向けのドイツ語試験に合格し、フライブルク大学に登録し、学生ビザを手にしていた僕だけど、そのまま大学で卒業できるだけの成績をあげられていたわけではない。
そのあたりのいきさつについては以前のきちログで次のように書いている。
【きちログ】3年目で最初のライセンス講習会へ。協会が実際に現地へ足を運んで活動していることを実感したあの日
本来の目的だった指導者としての勉強により時間を取るようにした結果、無事にC級ライセンスも獲得することができたし、指導するチームを見つけることも、そののちに移籍するクラブに出会うこともできた。ここから次のステップに向けてまたチャレンジをしていけるって心から喜んでいた。でもそう何もかもがスムーズにいったりはしないのが人生だったりする。
そう、あれは移籍が決まった直後。家に一通の手紙が大学から届いていた。
開いてみるとそこには非常に専門的な用語がびっちり。内容を一番簡略して書くとこうだ。
《単位不足のため当大学からの除籍処分とす》
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