中野吉之伴フッスバルラボ

【指導論】戦術だけではサッカーは成り立たない。監督には人心掌握能力が欠かせない

▼『ラップトップ監督』って結局なんなんだ?

数年前の話だ。元ドイツ代表MFのメーメット・ショルがブンデスリーガに台頭してきている若い世代の指導者に対し、「プロ選手としての経験がない、あるいは乏しい者が現場のこともわからずに理論やデータ先行で取り組んでいる」と批判的なコメントをした際に、「パソコン片手に、プロチームを指導するようだ」との意味で《ラップトップ監督》と皮肉交じりに称した。

このショルの発言から、ドイツでは《若い世代の監督たち=ラップトップ監督》と称するメディアやSNSでの発言が一時期増えてきたように感じていた。そして日本のメディアでもそうした表現を少しねじまげて《戦術論やシステム論にたけたデータ重視の監督=ラップトップ監督》と変にポジティブに受け止めて、紹介されたように思われる。でも、それはあまりにも表面的な表現すぎないだろうか。

例えばユリアン・ナーゲルスマンがプロデビューをしたのはホッフェンハイムだが、降格候補だったクラブをCLプレーオフ出場圏の4位へと導くことができたのは、最先端の機器を使ったデータ管理があっただけではない。それだけで相手の度肝を抜くような戦い方を植え付けることができたのだろか?

もちろん、彼らのアイディア、理論、データ利用がすばらしいのは言うまでもない。だが、正しい理論があれば、それだけでイメージどおりにサッカーができるわけではない。それが可能なら、そもそも指導者などいらなくなる。要点をまとめた動画を作成し、選手がそれを参考に練習すればいい。でも、それではうまくいかないのだ。

頭で思い描いたとおりにプレーすることは、そんなに簡単なことではない。試合では自分たちだけではなく、相手もいる。どのような展開になり、どのような対処が必要となり、どのようなアイディアが求められるかはその局面ごとにまったく違う。

なぜ、いつ、どこで、どのように、どんなプレーを選択するのか。

その基本指針を定め、その上で戦い方を整える。それをどのように伝えるのか。どのように理解させ、解釈させるのか。そこに指導者の存在意義がある。

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