中野吉之伴フッスバルラボ

指導者としての生き方とは?そしてプロの指導者になるにはどうしたらいいのか?僕なりにその可能性を考えてみた。

▼ プロ指導者以外の道を探すことの大切さ

僕がいま指導者として関わるフライブルガーFCは地元ではブンデスリーガクラブのSCフライブルクに次ぐ2番目に大きなクラブで、1906年にはドイツ1にもなったことがあり、80年代まではブンデスリーガ2部に所属していたクラブ。

そんなクラブ内で一番ランクの高いA級ライセンスを所得している僕でも、育成指導者としての稼ぎはたいしてない。現在指導者としての稼ぎは月に125ユーロ(1万5千円ほど)。その程度なのだ。

だから、それ以外の指導者はどのように生計を立てているのかというと、みんなしっかりと他に職業を持っている。

僕の場合は早い段階から指導者として以外での稼ぎ方を模索し、今はライターや指導者講習会などでの収入をメインとする働き方をしている。生きていくためにお金を稼ぐうえでの将来性、そしてサッカー指導者として自分が求めるビジョンとの兼ね合いを考えていくことが大事なのだと思う。

個人的な意見だが、収入源が指導者としてだけしかなく、それなのに生きていくのにギリギリの収入しかないような状態になってしまうと、本当は大好きで大きな夢を抱いていたサッカーと、まっすぐに向き合えなくなってしまうのではないだろうか。

それはあまりにも悲しすぎる。

余談だが、欧州にプロ選手、プロ指導者になりたいと”留学”してくる若者は多い。野心は大切だ。思い切りがなければ道を開けることもできない。でもその道が途絶えた時に、他の道の歩み方も見いだせないまま、限りなくグレーな選手斡旋業をしたり、日本に戻って「元海外組」という肩書だけでスクールを立ち上げたりするのをみるのはあまりにもいたたまれない。

海外で挑戦するという響きは素晴らしい。でも現実的な視線も常に持っていなければならない。海外にくる以上、あなたは外国人なのだ。その国に住むに値するという証明をしなければならない存在だ。それは最低限の義務なのだ。

指導者として、選手として長くその国にいたいならば、その国でしっかりと稼ぎ口を見つけ、その中で学び続けるやり方を見出さなければならない。

「何もかもをやるのは大変だ。僕はサッカーだけに集中したいんだ」

そんな声も聞く。だが、それはあなたのわがままでしかない。社会の成り立ちを理解して、その中で自分がどのような立ち位置にいるのかを理解するのは最低限の条件。

さらに言うなら、サッカーに”しか”集中できない人なら、申し訳ないがそこから先へ行けるはずもないと僕は思う。

ここまでを理解した上で、どこのポストをどのように狙うのか、どのような関わり方でサッカーと生きていくのかを考えていくことが大切なのだ。僕にとってはそのための場所がドイツだから今もここにいる。

あなたの情熱が本物ならば、いくらでも道を切り拓いていくことはできる。最初からすべてを決めることはできないし、行ってみなければわからないこともたくさんある。あきらめないで努力し続ける姿勢がなければ進めないのも本当だ。そのためには正しい努力の仕方を知らなければならないし、生きることに関しても真剣に考えなければならないのではないだろうか。

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