中野吉之伴フッスバルラボ

「不要不急」という言葉に思うこと

こんにちは!5月に入って最初の水曜日無料コラム。みなさまいかがお過ごしでしょうか。ドイツでは行動制限の解除がかなり進み、イースター休暇(3月~4月ごろ)に続く行楽シーズンであるプフィンクステン”(5月~6月ごろ)に向けて、できるだけ経済活動を通常化させようとする動きが進んでいます。

ドイツ語で”プフィンクステンのバラ”と呼ばれるボタン。去年の写真で楽しんでいます

慎重の上に慎重を期して、極力ゆるやかに行動制限を解除していきたいメルケル首相と、深刻な経済ダメージからの回復を急ぎたい各州知事との間ではかなり温度差があるようですが、今週からは飲食店以外のほとんど全ての店舗が営業を再開し、市民レベルで見る街の景色や人出は、ずいぶんコロナ前に近づいてきたように思えます。みんながマスクをしているところや、ありとあらゆる店の入り口前の地面に1.5m感覚のマーキングがされ、少人数で人と人との間隔を保つことが厳守されていることが以前とは違いますが。

ドイツ・ミュンヘン出身で日独両方のルーツを持つコラムニスト、サンドラ・ヘフェリンさんのコラムを読んで頂くと、コロナ以前のヨーロッパでマスクで顔を覆うことが、どれほど違和感のある行為だったかがよく分かります。

「マスク着用」で意見衝突する欧米人の特殊事情 彼らの根強い「マスク嫌い」の根底にあるもの

顔の表情が互いによくわかることや、握手やハグといったフィジカルな挨拶を交わすことなど、日常に深く染み込んだ習慣が戻ってくる日はいつなんだろう?全てが元に戻る日なんてやってくるのかな?などと、ないもののことを考えてばかりでは暗くなるので、公園の使用や美術館・博物館、図書館の利用など、まずは戻ってきた日常のほうを喜ぼうと思います。

フライブルク郊外の花畑。これも去年の写真です。今年はどんな眺めになっているんだろう。

先日、Facebookで友人がこんなことをつぶやいていたのを読み、深くうなずいてしまいました。

「不要不急」という言葉はやめて、せめて「不急」だけにしたい

「要らないもの」ってう言葉の力が、じわじわと人を蝕んでしまう』

今、コロナ禍によって休業を余儀なくされた人や、日々の暮らしの中で大切にしてきたものと切り離されることによって、心の拠り所を失くし深く傷ついてしまった人たちが数え切れないほどいます。

「それ、急がなくてもいいんじゃない?」ならば「では後で」と気持ちを切り替えることもできますが、「それ、要らないんじゃない?」と、それも自分の判断ではなく他者から判定されることは確実に心を削られます。21世紀の私たちの社会は、そんな無数の「誰かにとっては要らないものかもしれないが、別の誰かにとっては切実に必要なもの」が絡み合うことでできているにも関わらず、です。

先々週のコラムで書いた、営業は再開したもののまだ客足のないフライブルクの骨董街もまた「不要不急」だと言われかねないものの一つかもしれません。そんな「不急」だけれど誰かにとっては確実に「必要」なものが、一つ一つ戻ってくることで、私たちの日々が少しずつ彩りを取り戻していくことを切実に願っています。今「必要」なものにアクセスできずに苦しんでいる人には、できるだけ迅速にケアの手が届きますように。

さて……一方で、ものすごく必要だし、これ以上遅れると取り返しがつかなくなるのでは?と多くの人が危惧している学校や幼稚園・保育園の全面再開は、まだまだ先になりそうです。今週からようやく、卒業試験を控えた最上級生たちが受験科目限定で教室で授業を受けられることになり、また3月の一斉休校・休園以降も、保育園や学童に通いつづけていた子どもたちに対する大規模な健康チェックが始まっています。大多数の子どもが自宅待機を余儀なくされていた中でも、親が医療や社会インフラ、食品関係の仕事に就いている子どもは緊急託児が認められ、日中は保育園や学童で、普段よりずっと規模は小さいものの集団生活を継続していました。そんな子どもたちの中に、無症状だけれどコロナウィルスに感染している子どもがいる可能性もあるので、その実態を調べて園・学校の再開の判断材料にするようです。

よもぎもちもちさんによる写真ACからの写真

同じドイツ国内でも、比較的感染者数の少ない州では、最上級生以外の学年についても再開の段取りが具体的になってきているようですが、私たち家族の住むバーデン・ヴュルテンベルク州は、残念ながらバイエルン州と並んでドイツ国内でもトップクラスで感染者の多い州。たぶん来週のこのコラムを書くころにも、状況はそう大きくは変わっていなさそうです。

今週もお読みくださりありがとうございました!次回もよろしくお願い致します。

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