「football fukuoka」中倉一志

【無料記事】【中倉’s Voice】改めてコロナ禍のシーズンを振り返る。関わるすべての人たちの力があったから乗り越えられた

新型コロナウイルスの第三波が日本を襲っている。7日には埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県(一都三県)を対象に緊急事態宣言が行われ、9日には大阪、兵庫、京都の三府県も政府に緊急事態宣言の発出を要請した。新しいシーズンが始まろうとしている時に不安にならないわけではないが、いまやれることは、マスク着用、うがい・手洗い、不要不急の外出の自粛、三密を避ける等々、基本行動の徹底しかない。改めて気を引き締めて来るべく日を待ちたい。

その新型コロナウイルスの影響を受けて様々な制限下で行われた2020シーズンは大変な1年だった。クラブにとっては経営面、チーム運営面はもちろん、それに付随する様々なことが山のようにあったはず。その一つ一つに対応するために、私たちの見えないところで、口に出せないほどのハードワークがあったことは想像に難くない。フロント、現場、そしてクラブ職員の努力の積み重ねの上に2020シーズンの成功があった。

ファン、サポーター、そしてアビスパに関わるすべての人たちにとっても難しい1年だった。入場者数はもちろん、応援方法に数多くの制限が加えられ、密を避けるために肩を並べて観戦することも許されなかった。アウェイ遠征を断念したファン、サポーターも多い。そんな中でいかにしてチームへの想いを選手たちに伝えるか。もどかしい気持ちを抑えながら、それでも送り続けた想い。それは確実に選手たちの力になった。

私たちメディアもまた、多くの制限を受けた。会場入りは1時間前。原則として記者席から必要以上に動くことは許されず、選手との接触は練習、試合ともに一切不可。取材はzoomを介してしかできなかった。試合後の会見への質問は、取材対象者1人に対して取材陣全体で3問、5分程度というもの。そこでは監督や選手の気持ちを引き出すことが難しかった。

そんな中で、アビスパをはじめ、各クラブの広報担当者が臨機応変に対応してくれたことで、慣れてくるにつれzoomによる取材はスムーズに行われるようになり、その時間は、平時よりも長くなることもあった。すべてが共同会見の形だったため、全員が同じ質問、同じ情報に基づいて記事を書かなければいけない状況に、書き手の違いを出しづらいとする記者もいたが、取材を進めていくうえで、私は違う感覚を持つようになっていった。

zoomはスピーカービューで接続すると、画面には発言した人の顔がクローズアップされる。日常の取材では、質問者以外はカメラもマイクもオフにしていたため、必然的に自分が質問をしている時は、画面には監督、あるいは選手しか映らない。逆に言えば、相手側には私の顔しか映らない。そこで勘違いが起こった。その場には大勢がアクセスしているのだが、まるで1対1で話しているような気分になるのだ。

これは選手の多くが入れ替わったチームを取材するうえで私にとっては好都合だった。まず私の顔と名前を覚えてもらえた。また、共同会見でありながら、まるでインタビュー取材のような感覚の中で、選手たちは細かいところまで話をしてくれ、取材時間が長くなっても嫌がることなく最後まで付き合ってくれた。不利に見える環境も考え方を変えれば新しいものが見えることを知った。

ただひとつ残念だったのは、信頼関係のようなものを築けた(私の一方的な思い込みかもしれないが・・・汗)多くの選手たちと今シーズンは一緒戦えなくなったことだ。コロナが収まれば、もっといろんな話がしたいと思っていただけに、お別れの挨拶もできなかったことが少し悔やまれる。だから、彼らとともに勝ち得たJ1の舞台で暴れるアビスパの姿を記事にして彼らに伝えたいと思う。そしてお互いにJ1の舞台で激しく戦いたいとも思う。それが戦う世界に生きる者たちへの感謝の表し方だからだ。

[中倉一志=文・写真]
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