石井紘人のFootball Referee Journal

無料:SPAの状況でホールディングした選手に「今、止めるしかなかったですもんね。チーム救うにはそうするしかなかったですよね」と声かけで集団的対立を防ぐ【西村雄一レフェリー会見⑤】

1219日、JFA(日本サッカー協会)ハウスにて、トップリーグから勇退する西村雄一レフェリーの会見が行われた。私の質問に対して「引退ではなく、トップリーグを担当しないだけで、二級審判員として活動を続けていく」と答えられ、「二級?」と扇谷健司JFA審判委員会委員長も驚いていたように、現場への情熱は変わらぬようだった。

 

――ドイツに行って感じるのは、良いレフェリーがいる国はリスペクトされること。ですから、評価の高い西村さんや上川さんに私からはありがとうございましたと言いたい。で、四角四面の回答しか出てこないので、少し崩した質問を。

 

「そんな固くないんですけど(笑)僕が固くしちゃっているのかもしれない(苦笑)」

 

――ドイツの試合で、酷いファウルがあったんだけれども、レフェリーが流した。それに対して南米系の選手が暴言を吐いてしまった。ベンチにいるコーチ陣は「レッドカード出るよ」と頭を抱えますよね。レフェリーは、その選手を呼び、日本語だと「あなた、私に言った言葉を反省してくれませんか?」と言うと、その選手はハっと我に返る表情をした。そして、レフェリーはレッドではなく、イエローカードを掲出した。このジャッジ以降、試合は凄く紳士的になった。西村さんもそういうマネジメントをされていたと思うのですが、一つ紹介頂けませんか?

 

「わかりました。そうですね、実際にJリーグであったシーンで、まだ決定的な得点の機会ではないけども、いい攻撃が始まっていた状況を、守備側の中盤の選手が後ろから追っかけて引きずり倒した。

その時に、「何やってんだよ!」みたいな形で、両方のチームの選手がブワって来るような時に僕が本人にかけた言葉は、

「今、止めるしかなかったですもんね。チーム救うにはそうするしかなかったですよね」

って言ったら、

(ファウルした選手も)“もうすべてわかってます”って言って、倒してしまった選手の方に謝罪行きましたし、

「ごめん。俺分かってる」「申し訳ない、悪かった」っていう、

そのプレーヤー本人が自らそういう風な立ち振る舞いを変えてくれたので、僕が何もマネジメントしなくても、 自ら選手間の中でそれを受け入れて、また次のリスタートへ向かうっていうシーンはありました。

実際、私たちレフェリーがやっているマネジメントというのは、そういうことなんだろうなと思っていて。

直接何かを伝えたり、私たちの思いを伝えても、選手が受け入れてくれるとは限らないし。

でも、何か選手自身が変わるきっかけがうまくはまれば、

AチームとBチームに分かれてるけど、サッカー仲間ですからね。なので、選手同士ですべて解決してってくれるっていうその体験は。はい、おっしゃる通りのような感じの体験は私もあります。

ですので、 レフェリーがそんな存在感で両チームの選手のために全力を尽くしていたら、生まれる感動っていうのは、またより深いものだったりなるのかなっていうのは。はい。今お伝えいただいた所からそんなことを感じました。」

 

――トップレフェリーを続けるというのは、良い事ばかりではなく、批判とかも一身に浴びなければいけないなかで、ご自身の体験、経験から、例えばこういう言い方は許し難い、あるいはメディアに対する注文を提言として頂けませんか?

 

「う~ん、そうですね、私が、そうですね。あっ、これは特に僕自身というか、そうですね、僕でいえば、あれですね、私が発言したことが正しく伝わらなくて、それで記事になったっていうことがあったんです。

【連載第二回:取材記】西村雄一

で、これに関してはもうちょっとちゃんとしっかりと調べた上で 書いていただいた方が良かったな、なんていうのは経験としてはあります。

【連載最終章:取材記】西村雄一

ただ、そういったところも含めてサッカーだと僕は思っていましたので。はい。どうしても審判という立場である以上、ご納得いただけない部分の判定っていうのがあるので、それに対しての批判も、叱咤激励も当然あると思っていますし。で、先ほどちょっとお伝えした理念と精神の中にも、その審判の判定が議論になって、それが 楽しみの一部となっていることもある

サッカーの競技規則は、他の多くのチームスポーツのものと比べ、比較的単純である。しかしながら、多くの状況において「主観的な」判断を必要とし、審判は人間であるため、必然的にいくつかの判定が間違ったものになったり、論争や議論を引き起こすことになる。

人によっては、これらの議論が試合の楽しみや魅力の一部となっている。しかし、判定が正しかろうと間違っていようと、競技の「精神」は、審判の判定が常にリスペクトされるべきものであることを求めている。(サッカー競技規則より)

と言及されている。審判がどうしても批判を受けることがあるっていうことはありますので、私としてもその覚悟を持って、ある程度の覚悟を持って望んでいましたので、過度な誹謗中傷まで行ってしまうと少し難しくなってしまう。

そもそもサッカーというものは、やはり多くの人に喜びだったり感動だったりを与えてくれて、皆様が前向きに進むための夢の場所?みたいな形で私は考えているので、できればサッカーからポジティブなエネルギーを皆さんが伝えていただけるようなことがあればいいななんていう風に、そんなふうに思っています。」

 

――審判マネジャーという立場になって、今の若い人人たちに、ご自身の体験から伝えたいこととか、伝えなきゃいけないことはありますか?

 

「ミスを恐れずにチャレンジを続けること。これに尽きるかなと私は思っています。生まれながらにしてのレフェリーは誰もいなくて、必ず何かのきっかけでレフェリーを始めようと思って、そのきっかけに関して、きっかけをもらった上で、ずっと努力をして、切磋琢磨して成長していく。その流れがレフェリーとしてはあります。

その中でミスをしないでいく人はいませんから。ミスをしたとしても、“ミスをしたくないから、ちょっと自分のパフォーマンスが発揮できない”っていうふうになるよりは、

『ミスをしてでもそのミスを乗り越えていくためには、ちゃんと勇気を持ってチャレンジをし続けた方がいい』っていう。

これは、次の世代のレフェリーたちも、もちろん本人たちも(既に)思っているでしょうけど、僕自身もマネジャーとなって大切にしていきたい考え方だと思っています。」

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