石井紘人のFootball Referee Journal

無料:凄くアバウトで抽象的で人間らしさを大切にしているフットボールの楽しさや喜びよりも、価値のない勝ちのみの勝利至上主義が強くなって○×や白黒のみを求めていませんか? #高校サッカー

<2011年の過去記事より再構成> 

日本サッカーの聖地と言われる国立競技場。ヤマザキナビスコ杯や天皇杯の決勝戦が行われる舞台であり、全国高校サッカー選手権に参加する4,185校の選手たちもこの地を目指して日々練習に励んでいる。

伝統ある舞台で行われる伝統ある大会、第89回全国高校サッカー選手権大会決勝戦に、集まった観客はJリーグの平均を上回る35,687人。呼応するかのように報道陣の数もビッグマッチ並みに多い。同じ決勝戦でも、ユースや大学サッカーの大会ではありえないくらいの注目度であり、ユースカテゴリーで唯一ビジネスになるコンテンツともいえる。

そんな高校サッカーの決勝だが、根本の部分で日本代表戦やJリーグと違うところがある。

それは、観客の多くが純粋にフットボールを楽しみにきているという点だ。当該チーム関係者以外の、ニュートラルな観客が多いのだ。

よって、相手チームや審判へのヤジはほとんど聞こえず、良いプレーを見たいという空気がスタジアムに溢れている。応援するというよりは、チャンスや好プレーの度にスタジアムがどよめく。

選手たちもそれに触発されたのか、コンタクトがあっても審判を見ないタフなプレーをしていた。久御山が3点目を決めた後に多少のいざこざはあったものの、全体を通して非常にフェアな試合だった。

両監督、選手ともに「こういった場を用意してもらって、本当に感謝です」と語る素晴らしい舞台が、高校サッカー決勝戦であり、「いいプレーを見せたかった」という言葉通りの、勝利至上主義ではない“フットボール”が躍動していた。

「もう少しバックラインは後ろで、と思ってたんですけど、選手たちが前向きにいった」とは滝川第二の栫裕保監督だ。滝川第二はボールを奪いにいくプレッシングを掛け続け、最後までゴールへの姿勢を失わなかった。89分にはコーナーフラッグ付近でボールキープすると見せかけ、相手がこなければゴールに突進したシーンなどが良い例だ。敗れた久御山も、バルセロナやアーセナルのようにリスクあるポゼッションをバックラインから行い、そこからゲームを組み立てた。

53というスコアを大味と評する方もいるかもしれないが、私は高校サッカーらしい素晴らしい試合だったと思うし、スタジアム全体にエンターテイメントを提供していたと思う。そして、この試合内容はこの2チームでなければありえなかった。互いにそれを理解していたかのように、試合後は抱き合って健闘を讃えあっていた。

元日本代表監督のイビチャ・オシム氏は「家を壊すことより、建てることの方が難しい」と言い、エンターテイメント性のある試合をしなければ観客はいなくなってしまうと常々語っていた。

そんなエンターテイメントだが、演者だけでは成り立たない。観客間との相互作用もあると思っている。決勝を戦った2校の姿勢が、それを教えてくれた。(了)

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