川本梅花 フットボールタクティクス

三浦俊也(FC岐阜監督)【ノンフィクション】 プロでの選手経験がない人が監督になって経験したこと(最終回)

目次
監督の適性と選手の適性の違い
監督を辞任した理由
最終回

監督の適性と選手の適性の違い

日本社会は、「経験者」という言葉の響きに弱い面がないか。「プロでの選手経験がある監督」というのと「プロでの選手経験がない監督」では、その人個人の考えをも考慮されずにスタートラインにさえ立てないケースがある。Jリーグの監督としてのスタートラインに立つためには、最低限の条件として、「S級ライセンス」取得が厳命されている。

「育成」という言葉から育成組織の選手を想像するかもしれないが、「育成」は指導者にも当てはまる言葉である。その国のサッカーを強くしたければ、指導者の育成にも力を入れるべきだ。例えば、海外で取得した高レベルのライセンスを、日本のS級と同等の価値と認識して、彼たち彼女たちにS級ライセンス取得の資格を与える。プロでの経験がないからと言って、指導に関してプロ経験者よりも劣っているとは限らない。サッカー選手として30歳前後までプレーした人と、大学のサッカー部でプレーしてすぐに海外で指導者教育を受けた人では、人の指導を学んだ時間に大きな違いが生じる。ましてや、留学した国の言語を習得して、海外の最先端で学びを得ている人物がプロ経験者と比べ、どこが劣っているというのか。

JFLやJリーグでの選手経験がない三浦は、「ドイツでは4部を3部に昇格させた実績を残せば、少なからずもう1つレベルアップしたカテゴリーで指導できるチャンスが与えられる。しかし、日本には、まだそうしたチャンスが少ない」と言う。さらに、プロの選手経験が監督としてプラスになるのかどうかを問うてみた。「これは僕の意見だけど……あんまり関係ないんだとよね。監督の適性と選手の適性は全然違うものだからね。必ずしも選手だからと言っても、監督としていい成績が残せるのかと言えばそうでもない。監督になるための入り口というのはあるけど。日本ならば、カズ(三浦 知良)やヒデ(中田 英寿)が監督をやったとするよね。そうしたら選手はリスペクトする。実際にボールを蹴ってみれば、選手たちは「うまいな」となるよね。監督の選手時代を知らないと「この人はどんな人だろう」と戸惑う。選手と監督に信頼関係ができるまで時間が掛かる。でもそれは、1カ月や2カ月の話だよ。過去にいい選手だったとしても、1カ月すれば「なんだこれ」となる場合もある。Jの選手たちもいい監督のもとでプレーしたいと思っているからね。ベンゲルやオシムは、いい監督と呼ばれる部類だよね。そうした監督と比べられることが多くなっているので、日本人にとっての監督業もこれから大変になっていくと思うよ」。

三浦のような経歴の監督が増えれば、日本サッカーも強くなっていくのではないかと問いかけると「まあ、全部でなくても、何割かはその方がいい」と答える。

監督を辞任した理由

J1昇格が決定した2004年11月20日、J2第42節の水戸ホーリーホック戦を3-1で勝利した瞬間、強化担当だった佐久間 悟は空を見上げながら涙を流していた。それは、昇格のために力を尽くした選手の中から契約満了でチームを去る選手がいたからである。三浦も同じような気持ちだった。「一生懸命やってくれた。試合に絡んでくれた選手たちが去っていくのは、昇格したからと言って、手放しで喜べることではない。達成感の後のもう1つの現実は、本当に。嫌な世界なんだけどね」。

2005年、J1に昇格した大宮は、カテゴリーが上がったリーグの中で戦っていくには、攻撃的な選手の補強が急務だった。東京ヴェルディのFWの桜井直人とブラジル代表の経験があるクリスティアン、さらにヴィッセル神戸からMFの藤本 主税が加入した。三浦はJ1での1年間を「率直に言って」と断りを入れてから「楽しかった」と述べた。「チームは残留が目標だったけど、クラブからの要求も強くなったから、リーグのレベルが上がった中で戦えて楽しかったんだよね。ただ、僕らは過去の事例を考慮して『これじゃあ降格してしまう』と大幅に選手を入れ替えたチームは、降格していったのを嫌と言うほど見ているから、チームの骨組みは変えずに、そう、ベースはあまり崩さないでいこう、という了解がクラブにはあった。即戦力は藤本と桜井にクリスティアンの三人。藤本はチームにフィットした。クリスティアンはダメだった。結果は予想通りというか、1年目は残留するためのチーム作りだったからね」。

藤本に関しては次のように三浦は話した。

「主税は、日本では数少ない、心のこもったプロフェッショナルプレーヤーだと思う。あいつは、チームにとって重要な選手なんだよね。相手をずいぶん引っかき回してくれたから助かった。大宮に移籍する前は、不本意なシーズンを送っていたけど、大宮に来て再評価された選手だと思う。本当に貴重な選手だった」と言って少し懐かしむ。

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