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【ノンフィクション】水沼宏太(横浜F・マリノス)「息子が父親を凌駕する瞬間~父から息子へ継承されるもの~」【無料記事】川本梅花アーカイブ

フル代表のユニホームを着る日まで

AFC U-17選手権2006、グループAをトップで勝ち抜けた日本は、準々決勝でグループBを2位で通過したイラン代表と戦った。日本は柿谷のゴールで先制する。しかし後半に追いつかれて延長戦に突入。延長戦でも決着はつかなかった。そして大会の歴史に残るPK戦でワールドユース大会への切符を懸けることになる。PK戦で先攻となった日本はサドンデスになってから3回失敗するものの12人目でイランに競り勝ち(PK戦スコア8〇7)ベスト4入りを決めた。この大会は、準決勝でシリア代表に2-0で完勝し、そして決勝では北朝鮮に0-2から追いつき、延長の末に4-2で勝利を収める。

イランとのPK戦の場面で、水沼のキャプテンシー、メンタルの強さを現す出来事があった。水沼は1度PKを蹴っている。最初のPKの時、イランのGKが水沼の近くにやってきて、ボールに唾を吐きかけプレッシャーをかける。水沼はそのボールを両手で胸まで持ち上げて、動揺することなくユニホームでボールを拭く。その行為を目撃した貴史は「16歳でどれだけの経験をしているんだ」と感じたと言う。城福が水沼をキャプテンに選んだ理由が、こうした場面でも臆さない彼のメンタルを見ていたからかもしれない。

水沼がサッカー選手として大きく成長するために、貴史は期待を持って答える。

「長い時間グラウンドに出て、いいプレーができる選手だと思います。運動量はある。ただ、周りを気にし過ぎているので図々しさがない。自分で行けばいいのに、自分から突っ込んでいかない。すごく点が取れる選手なのに、プロになってなかなか点が取れないのは、周りに気を使っているから。そこは振り払ってほしい。そこですよね、彼がこれから先に行けるかどうかは。僕の子供として生まれたことで、それは背負っていることだから、どうしようもない。僕が親だということはいつまで経っても言われる。アスリートの世界はその子自体に力がないと、いくら2世だからといって、あとは継げないわけですよね。だから、彼自身がちゃんと成長していかないといけない。親としては僕をどんどん越えていってほしいです」

水沼は横浜・F・マリノスから栃木SCに期限付き移籍する。2010年11月28日、J2リーグ第37節・FC岐阜戦でJリーグ初得点を決める。同年のU-23日本代表に選ばれ、アジア大会の優勝メンバーに名前を刻んだ経過からすれば、遅過ぎたJリーグ初得点だった。しかし期限付き移籍した栃木SCでは、レギュラーポジションを確保してチームの中心選手になった。それは横浜FM時代になかなか試合に使ってもらえなかった苦い経験があったからだろう。栃木移籍前に、貴史は次のように語っていた。

「試合に出られなかった時には、そこにある現状でできることを全力でやるしかない。特効薬というか、すぐに効く薬はないわけで。いま、試合に出られないことで苦しんでいるけど、ある観点から見ればいろんなことが見えてくる。宏太の体がだんだんと大きくなっているんですよね。高校1年生の頃は、160センチしかなくて、高校3年生になって体が大きくなってきた。そういう肉体的に成長する過程が、実は一番うまく行かない時なんです。筋肉が発達してきてイメージする動きに追いつかない場合がある。そういう時は、ケガも多くなってしまうんです。だから、練習をしなければいけない時期にケガをすると大きいんです」

「この2年間(19~20歳)ケガらしいケガをしていない。練習離脱をしたことがない。それはすごく大きなこと。試合に出られなくて苦しんでいる選手はいっぱいいますよ。そのことで家内とも話をしたんです。『ほかのチームに宏太みたいな選手がいて、ユースに選ばれて、キャプテンになって結果を出してきた。でもプロになってなかなか試合に使ってもらえない。そして試合にたまに出てもなかなか点が取れない。そういう活躍できないという選手がほかのチームにいたら、いったいどんな風に声をかけるのか』ってね。たぶんこうやって話すと思うんですよ。『いまは苦しんでいるけど、それは絶対に糧になるから。いまはそういう時期なんだよ。あれだけのメンバーの中で、スタメンで入っていくのは大変だけど、いま、やるべきことをやっていたら絶対に出てくる』。そうやってコメントすると思うんです。宏太は、苦しいことを何度も経験して、それを越えてきているから」

「小学生の時にケガをした時もそう。中学生でもケガの手術をして、ユースに上がれるかどうかという時もそう。高校に行って、ユースのAチームで練習している時もそう。試合に出られないからと言って、腐ったら終わり。そう思った時点で終わりなんですよ。宏太は後ろ向きにはならないと思います。『悪いことが起きたのは何かの原因があるから』と僕は小さい時から彼に話していました」

水沼は、自身の未来予想図をどのように描いているのだろうか?

「自分はミスをしたら連続でミスをしてしまう癖があると思います。そういうところは直していきたい。俺は運動量が取りえだけど、運動量の多い選手の場合、走っていて息切れする時もあるんで、そういうバランスに注意しながらプレーする必要がある。それに俺は攻撃的な選手なので、ゴール前で一番力を発揮しなければいけない。ただがむしゃらに走っている時期が過ぎたと思うので、的確な判断を持って動けるようにしていかないといけないと思います。本気でやっていれば、いつか自分に帰ってくると思う。俺はプロサッカー選手である以上、人に感動や勇気を与えたい」

「俺は、いままで人に勇気をもらったりしていかされてきたので、今度は自分が誰かに勇気を与える番だと思っています。一生懸命やっている人を人は応援したくなると思うので、見た人が『頑張っているな、応援したいな』と思ってもらえるように、ピッチに出たら、全力でプレーして、誰かに何かを伝えられる選手になりたい。僕が得たいろんな苦しい経験は、必ず誰かに活かされると思っています。俺、フル代表の舞台に立ちたいと思っているんです。そのためには、ロンドンオリンピックのメンバーに選ばれないといけない」

このように語った水沼は、最後に笑顔で言葉を付け加えた。

「親子ともにすごいと言われる選手になりたい。親を乗り越えたい。実力で代表のユニホームを着たし、これからも着られるようになる」

子供の頃に日本代表ユニホームをせがんだ水沼は「代表のユニホームは自分の実力で取るものだから」と父に言われた。そして10年という時間を経て、水沼はユースの日本代表に選ばれて、実力でユニホームを手に入れる。彼が目指す次の到達地点はフル代表の場所。フル代表のユニホームを手に入れた時、初めて父と同じ地点に到達したことになる。水沼が貴史を凌駕する瞬間はすぐそこまできている。水沼には十分にその可能性が備わっている。

川本梅花

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