川本梅花 フットボールタクティクス

【コラム】「売り出し中の荒木!」という表現を巡る考察【無料記事】

【孤独の暁と無花果の蕾】「荒木は売ってませんから」について考える

アナウンサーの下田 恒幸さんが、見事なゴールを決めた鹿島アントラーズの荒木 遼太郎選手に対して「売り出し中の荒木!」と実況したら、「荒木は売ってませんから」と反論されたそうです。これに対し、下田さんは辞書を用いて「売り出し中」の意味を提示しています。

「売り出し中」と表現された試合は、8月28日の明治安田生命J1リーグ第27節、横浜F・マリノス対鹿島アントラーズ戦です。14分に右サイドでボールを受けて縦へ突破する土居 聖真選手のクロスを、荒木選手がヘディングでゴールを揺らします。下田さんの実況はYouTubeのダイジェスト映像でも確認できます。

19歳の荒木選手は、昨季26試合に出場して2得点でしたが、今季はリーグ戦全試合に出場して9得点の活躍を見せています。確かに彼のプレーを見れば「売り出し中」は誇張した表現ではありません。ここでは辞書の意味を踏まえつつ、鹿島サポーターの心情、日本語表現について考えてみたいと思います。

鹿島サポーターの返答には、それぞれの思いがあるはずですが、大きくは以下の3パターンになると思います。

  1. 文字通り「販売中」だと受け取った(荒木選手は「売り物」ではない)
  2. 人を売り買いの対象とした比喩を用いたことに対する嫌悪(より適切な表現方法がある)
  3. 下田さんの意図を正しく理解しつつも、活躍した若い選手が次々と海外移籍する傾向を残念に思う

「言葉の意味を文字通りに受け取る」人は存在します。例えば「情けは人のためならず」という慣用語。ある後輩に「なんで彼に協力してあげなかったの」と聞いた時、「だって情けは人のためならずと言うじゃないですか。本人のためになりませんよ」と応えられたことがあります。

少し古い情報ですが、文化庁も、この慣用句の用法に関して指摘しています。

https://www.bunka.go.jp/pr/publish/bunkachou_geppou/2012_03/series_08/series_08.html

文化庁が行った「国語に関する世論調査」では、「情けは人のためならず」の言葉の意味の解釈が2つに分かれています。以下は平成22年、いまから11年前の調査結果です。

  1. 人に情けを掛けておくと巡り巡って結局は自分のためになる 45.8%
  2. 人に情けを掛けて助けてやることは、結局はその人のためにならない 45.7%

本来の意味から逸脱した言葉の用法は、僕たちの思考に大きな変化をもたらすキッカケになっていると考えています。言葉の乱れ、いわゆる「ら抜き言葉」などならば、本来の言葉を短くした簡略化にすぎませんが、意味の“書き換え”は、思考を変換させるものです。

「情けは人のためならず」の意味のポイントは「人のためでない」、つまり「自分のためである」にあります。その上で「人に協力することは自分のためでもあるから、協力を惜しむべきではない」という倫理的かつ道徳的な意味を内包しています。「人に感謝する」の「感謝」は、困っている人に協力することでしか、自身に「感謝」という気持ちの萌芽は生まれないのです。僕は、そう思って生きてきたのですが、周りを見ればそうではないような光景が目に入ってきます。

コロナ禍にある現代は、自身の「倫理的」で「道徳的」な思考を見つめ直す時期なのかもしれません。だいぶ話がそれましたが、鹿島サポーターの反応と下田さんのやり取りを見て、そんなことを感じました。

川本梅花

BGMで変態紳士クラブの「Yokaze」を聴きながら本文を書きました。

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