川本梅花 フットボールタクティクス

【インタビュー】#奥山泰裕 僕が現役復帰した本当の理由【無料記事】#ラインメール青森 から #コバルトーレ女川 へ

【インタビュー】奥山泰裕 僕が現役復帰した本当の理由

ラインメール青森FCからコバルトーレ女川へ

日本フットボールリーグ(JFL)のラインメール青森FCでアカデミーコーチを務めていた奥山泰裕が、東北社会人サッカーリーグ1部に所属するコバルトーレ女川で現役復帰、ピッチに立つこととなった。

奥山と私が話をするようになったのは、いまから7年前。ラインメールの事務所でインタビューしたのが最初だった。彼はその時から「このクラブが自分の現役最後の場所だと思ってプレーしています」と決意を語っていた。だから、一昨季末に彼から告げられた「引退します」との報告には「まだやれるよね」と率直に思い、「どうして?」という言葉が真っ先に出た。そして「だってリーグの後期は試合に使われていたじゃない。今季も契約されるものだと思っていたよ」と続ける。

「決めるまで1週間しかなくて。アカデミーをやってくれと言われたんです」

そう答えた奥山は「もう決めたことなんで」と、気持ちに整理がついているかのように話す。

「アカデミーって、育成とかユースの指導者とかをやりたいの?」

そうした質問は、すでに進路を決めた彼には意味がないことかもしれない。

「強化とかスカウティングをやりたいので、そう伝えたんですが、まずはアカデミーから始めてくれ。その後は考えるからと言われたので」

奥山の返答に、私は半信半疑だった。「本当なのか。それでいいのか」と答えを探った。それでも、奥山には家族がいるから、食わせていかないとならない。この選択が将来に生きてくれればいいと考え直して「とにかく経験だと思って頑張って」と言うしかなかった。

【インタビュー】 #奥山泰裕「ずっと前から #ラインメール青森 が自分の最後の場所になるんだと」【会員限定】#reinmeeraomori

そんな奥山がプロフェッショナルの道ではなく、どうしてアマチュアとして再び現役選手となってプレーするに至ったのか。彼の考えを知りたくて、すぐに話を聞いた。このインタビューを読んで読者はどう思うのだろうか。彼の本意がどうか伝わってほしいと私は切に願う。

契約満了を告げられた日

――引退のセレモニーをやらなかったね。それはどうして?

奥山 昨季が始まってから「ホームの開幕戦で引退セレモニーをやらないか?」とフロントから提案がありました。自分自身が納得する、まあ納得する人なんていないかもしれないですが、僕自身が引退セレモニーをする気持ちになれなくて断りました。昨季、太田康介さんと神山竜一さんがシーズン中に引退を発表して、引退セレモニーをやってもらったじゃないですか。外から見ていて、やっぱり引退は自分で決めたかったなと思いました。

――やり切ったとかケガでもう動けないとか、そんなことがあって引退を決めたの?

奥山「やり切った」という感覚はなかったです。シーズンが終わって「来季もやるぞ」という思いでしたから。自分が勝手に思い込んでいた、というのがあるんですが、自分は「長くクラブにいた」という気持ちもあったのだと思います。

――当然だよね。東北社会人1部からJFLに昇格して、国体(第72回国民体育大会2017愛顔つなぐえひめ国体)でも優勝。2017シーズンは、Honda FCに次ぐ年間通算2位だった。常にレギュラーでチームを引っ張ってきたわけでしょ。ここまでの貢献度を考えたら、引退を自分で決められない状況を提示されたのは酷だよね。

奥山 練習最後の日に、「契約満了」と書かれたA4の紙を渡されて、そんな形で伝えられるとは思ってもいませんでした。なんだろう……。このクラブで長くプレーしてきたし、試合に出ていなかったわけでもなかった。しかもシーズン後期は身体も切れていて調子も良かった。

――後期は、試合の頭からずっと使われていたからね。

奥山 まあ、だから、契約満了を伝えられて「まさか」と思いました。ラインメールに来る前に「このクラブが最後のクラブになるだろうな」と思ってきたし、ピッチに立つ前には「この試合が最後かもしれない」という覚悟で試合に臨んでいました。そうした思いでピッチに立っていたので、なんか急に力が抜けてきて、「そうなのか」と思って、自分の気持ちに蓋をしました。「もうこれが引き際かもしれない」と。最終的なフロントからの提案は「引退してアカデミーのコーチを」というものでした。決断するまで1週間しかなかった。だからあの時は、そうするしかなかった。

――契約満了を伝えられて、その理由を聞きに行ったの?

奥山 もちろん、すぐにそれは聞きました。「来季Jリーグに昇格するためにも、Honda FCに勝たないとならない。そのために右サイドは補強ポイントだと考えている。若手はもちろん育てながら、即戦力の右サイドの選手を取って、その選手でチャレンジすることにした」と言われました。そう言われて、長いスパンで見たらそうなのかと思って「引退した方がチームのためになるなら」と引退を決めました。だから引退を取り消して現役復帰することは全く考えていませんでした。自分が身を引くことでチーム力がアップするなら、右サイドをほかの選手に渡すことも必要かもしれないと本当に悩んで、自分の気持ちに蓋をして引退を表明しました。

現役復帰を決めた出来事

――でも2020シーズンのラインメール青森は勝点16、15位だった。それに右サイドは不安定なポジションとなっていたね。

奥山 試合を見て、成績を見ていたら、自分が決断したことに意味があったのかと思えてきました。「何がHonda FCに勝つためだ!」と。それに右サイドを強化すると言って獲得してきた選手も、右サイドでは使われていない。そうなったら「俺はなんのために引退したんだ。こんな状況だったら、辞めさせないでプレーを続けさせてくれても良かったじゃないか」と思えてきました。自分勝手な考え方かもしれませんが、そういう感情が沸き起こってしまった。そうなると現役でプレーしたいという気持ちが日に日に強くなってきた。

――もともと強化とかスカウティングの仕事をしたいと話していたよね。

奥山「アカデミーよりも強化とかスカウトの方に興味があるんです」とフロントには伝えていましたが、「いまはアカデミーで人が足りないから」と返答されました。「指導する年代は?」と聞くと「それはアカデミーダイレクターと相談してくれ」と言われました。そこでダイレクターに「教える年代は決まっているんですか?」と聞いたら、「え?聞いていませんか?」と驚かれた。そして「フロントには普及と育成をしっかりやってほしいと伝えている」と話されました。
「普及と育成」の話を僕は一言も聞いていなかった。おそらく最初に「普及や育成をやってくれ」と言えば、僕が断ると思っていたのでしょう。だから本当のことを言わなかったのだと思います。僕は低学年を教えていますが、いままでやってきたことと違い、子供たちには全く別なやり方をしないとならない。手を抜くということは一切していませんが、それでも周りの指導者とのギャップをすごく感じていました。彼らは指導者をやりたくてやっている。でも僕は……という違和感。自分の気持ちにうそをつき、そんな気持ちのままでやるならば、何も良いことはない。みんなが不幸になってしまう。周りの指導者や子供たちにだって失礼だと思うようになりました。
去年の夏くらいからだったと思います。現役をやりたい。復帰してやれるところまでやりたい。1年間休んでいたから「もし復帰するなら、いましかない」と思いました。

――その気持ちはフロントには伝えたの?

奥山 具体的に「強化やスカウティングはこうしたらいいんじゃないでしょうか」と何度も提案したのですが、「アカデミーでもっと評価されてから」の一点張りでした。

これからの自分はどんな思いでピッチに立つのか

――コバルトーレ女川は、どんな経緯から?

奥山 ヴァンラーレ八戸監督の葛野昌宏さんが、「ヤス(奥山)の地元だし女川がいいと思うぞ」と話してくれたことがあって、やりがいがあるところでやりたいと考えて連絡しました。電話したら「いつでもいいよ、スポンサーのところで働きながらプレーすればいい。プロじゃないけど、覚悟があるならいつでも来てくれ」と言われました。プロフェッショナルにこだわるのではなく、アマチュアでもいい。宮城県は僕の地元だから、今後腰を据えて生活していける。家族に何度も引っ越しさせるのも苦労を掛けますから。

――現役復帰したいまの気持ちは?

奥山 僕はいままで「自分が結果を残せばチームのためになる」と。そういう気持ちでプレーさせてもらっていました。1年辞めていた選手を獲得することは、コバルトーレ女川にとって相当の勇気が必要だったと思います。

そんな選手を受け入れてくれたクラブに対して、感謝の気持ちというか、自分のためじゃなくて、このコバルトーレ女川は東北大震災復興のシンボルのようなチームですが、だから地域の皆さんのためにも、もう一度チームを全国に押し上げてクラブを見てもらいたい。自分のためではなく、このクラブのために、地域の人のために力を尽くしていきたい。

――今日は話をしてくれてありがとう。

川本梅花

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