川本梅花 フットボールタクティクス

【インタビュー】#秋吉泰佑(@aki418challenge)「印象に残っている #葛野昌宏 前監督の言葉」【無料記事】#ヴァンラーレ八戸(@vanraure)

秋吉泰佑「ターニングポイントはダービーマッチ」

明治安田生命J3リーグは、2019シーズンよりヴァンラーレ八戸が加わり、18チームで争われる。昨季JFL(日本フットボールリーグ)を戦った八戸は、16勝8分け6敗で年間通算順位3位。同4位以内となることが、J3昇格の条件だった。

八戸のJ3昇格に貢献した1人が、MF秋吉泰佑だ。秋吉は熊本県出身、1989年4月18日生まれの29歳。ルーテル学院高校を卒業後、アルビレックス新潟シンガポールでキャリアをスタート。アームド・フォーシズ(シンガポール)、PFCスラヴィア・ソフィア(ブルガリア)、NKズビエズダ・グラダチャ(ボスニア)、SKシュトゥルム・グラーツ(オーストリア)と海外クラブを渡り歩き、2015年にヴァンフォーレ甲府に加入。2016シーズン、期限付き移籍先のファジアーノ岡山でJリーグデビューを果たす。

2017シーズンにJFLのラインメール青森FCへ加入。翌シーズン、監督の葛野昌宏らとともに、同県のライバル・八戸へ移籍する。今回掲載する記事は、秋吉泰佑に2018シーズンを振り返ってもらった話の後編となる。

ラインメール青森とのタービーマッチがターニングポイントに

――2018年6月、近石哲平が奈良クラブから加入。それから守備が安定したように見えたが。

秋吉 途中でチカ(近石哲平)が来たのは大きかった。彼が移籍してきて、なおさら安定したので。後半戦(セカンドステージ)は失点数が7しかない。そう考えるとやっぱり彼の移籍は大きかった。ほかのDFも含めて意識が高まったと思います。

――セカンドステージ第4節・ラインメール青森戦[4〇1]の後、葛野昌宏監督が体調不良となり救急搬送された。その時はどんな感じだった?

葛野昌宏監督の容態について

秋吉「マジか」という感じでした。「クズさん(葛野昌宏前監督、現強化部長)大丈夫か」と。ストレスが原因だったのなら、それは僕らが原因だからと、みんな感じたはずです。「クズさんに負担を掛けたんだ」と。接戦が多くて、クズさんの中でも思うようなサッカーができていない面があっただろうと想像します。ただ、クズさんは倒れてしまったけど、チームが崩れていくとは思わなかった。なぜなら、あの時点で、クズさんのサッカーはチームに浸透していましたから。コーチとしてジュンさん(東純一郎ヘッドコーチ)もいたので。

――ラインメール青森時代から一緒だものね。

秋吉 はい。だから大崩れはしないと思いました。「クズさんの分もやってやろう」と心に誓ってピッチに立ちました。

――ずいぶん早い復帰だったようだけど。(セカンドステージ第7節・今治戦[1〇0]で復帰。同6節・ヴェスパ大分戦は0-1で黒星)

秋吉「早くない?」「大丈夫なの?」という気持ちが最初でしたね。だから、復帰したのは嬉(うれ)しかったのですが、反面、複雑な心境でした。クズさんの気持ちを全て知れるわけではないですが、クズさんの苦労に比べたら「僕ら何をやっているんだ」となりましたね。

――J3に上がると決まった瞬間は?

秋吉(セカンドステージ第14節)ヴィアティン三重戦[3〇1]が終わって順位が決まった時は、正直、力が抜けたと言うか。クズさんが「自分たちの手で掴(つか)めるものは掴んで帰るしかないよ」と試合前に言ったのですが。ほんと、こう、信じてやってきて良かったな、と。それはクズさんに対しても、自分に対してもですね。そんな気持ちにすごくなりましたね。

――試合が終わってから、クズさんが言ったことで印象に残った言葉はある?

秋吉 はい、あります。試合の後、こう言いました。

「お前らJ3に行くつもりで戦ってきたんだろう。お前らがJ3に行きたいから戦っているんだよな。上がって満足じゃないだろう。上がってそこで戦いたいんだろう。そう言う気持ちでやってきたんだよな。だったら、(セカンドステージ最終節・テゲバジャーロ)宮崎戦も勝ちに行くよ」

――J3昇格を決めた試合の後に、次の試合のことを話したんだ。結局、宮崎戦は3-1で八戸が勝利。秋吉くんが、個人的にクズさんに言われて印象に残っていることはある?

秋吉 僕個人に対しては、僕のプレッシャーを感じとっていたようで。実は(セカンドステージ第13節)Honda FC戦と(同14節・ヴィアティン)三重戦は、体調を崩していました。そんな時にクズさんから電話がありました。「もうアキ、背負わんでいいよ。選手のこととかチームのこととか考えなくていいから。お前は楽にして自分のプレーをしていいからな」と。クズさんは、僕がどんなプレーヤーなのか知っているので、「もう大丈夫だから、自分のプレーだけに集中していいよ」と言ってくれたのだと思います。ありがたかったし、嬉しかったです。

――あの時、体調を崩していたんだね。

秋吉 Honda FC戦前ですね。人には言いたくないし、弱みも見せたくなかった。

――J3に上がるためチームに貢献したことは、秋吉くんのサッカー人生にも大きいことだね。

秋吉 僕としたら、またJに戻るという感覚なんです。でも当時は、リーグ戦にコンスタントに出られるようなプレーヤーではなかった。いまは自分たちの手でJに上げたという誇りがありますから、チームに対しての思い入れもあります。

――J3の戦いは厳しくなりそうだね。

秋吉 昨季を見ても、どのカテゴリーも接戦でした。どのチームも分析力がアップしていると思います。それに、Jでプレーしていた選手がどんどん下のカテゴリーに降りてくるようになりました。だから、JFLからJ3に勝ち上がることが、これほど大変なことだとは思わなかった。振り返ると、相当に難しいことだったと思います。僕はJFLで2年間戦って、それで下のカテゴリーの試合を見るようになりました。Jにいると気にしていなかったのですが、下のカテゴリーにはいろいろな面で厳しく簡単ではないことが、たくさんあることを知りました。

――チームとしてターニングポイントになった試合は?

秋吉 ラインメール青森とのタービーマッチですね。2試合とも勝ったから、結果勝点が6を得たことになります。あの勝利は、選手たちに自信を植え付けました。それと(セカンドステージは)クズさんが倒れた試合でもあったので。

――個人としてのターニングポイントになった試合は?

秋吉(ファーストステージ第4節)FC大阪戦[2〇1]です。先ほど話しましたが、開幕して3試合はボランチでしたが、あの試合からシャドーに変わりました。

――最後に、サポーターに対してメッセージをお願いします。

秋吉 個人個人の質を上げなければならないと戦えない。結果が付いてこない時もあれば、結果がついてくる時もある。どんな時も僕らは全力で戦うので、いままでと変わらず、八戸らしい応援をしていただければ、ありがたいです。

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