川本梅花 フットボールタクティクス

【ノンフィクション】ベテラン選手が引退を決意する瞬間「体はすでに42.195キロ走りきっていた」【無料記事】#河端和哉 #ラインメール青森

河端和哉(ラインメール青森FC)「体はすでに42.195キロ走りきっていた」

2017シーズン限りで現役を引退したラインメール青森FCのDF河端和哉。1981年10月22日生まれ、北海道苫小牧市出身の河端は青森山田高校、札幌大学を経て、2004年にコンサドーレ札幌(現北海道コンサドーレ札幌)へ加入する。ロアッソ熊本、ギラヴァンツ北九州、V・ファーレン長崎、FC琉球(期限付き移籍)でプレーした後、2015年、当時東北社会人リーグ1部だったラインメール青森に加入し、JFL昇格に貢献する。

本文目次

悔やまれる、自分の“気の利かなさ”

Honda FCに勝てない理由

体はすでに42.195キロ走りきっていた

河端 和哉 選手 現役引退のお知らせ|ラインメール青森FC 公式サイト

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悔やまれる、自分の“気の利かなさ”

病院のベッドであおむけになって天井をぼんやり眺めていた。

「そろそろ潮時かな」

彼は自分自身に問いかけた。

ラインメール青森FCのDF河端和哉は、試合中に顔を殴打して数日入院することになった。静かに治療する時間を持てたことで、自分のサッカー人生を振り返る。

「もともと『いつ辞めてもいい』と思って、ここまでやってきました。トライアウトも3回受けています。俺は、来年の契約が約束された環境でプレーするような選手じゃない。だから常に危機感と隣り合わせでした。ふと、よぎってしまったのです。やっている意味があるのかなと。『俺、引退しようかな』じゃなくてね。ここに俺がいる意味があるのかなと思ってしまった」

私は河端の気迫溢(あふ)れるスタイルに魅了された1人だ。青森県出身の私は、帰省した時に、河端とチームメイトの奥山泰裕と3人で食事に行くことにしていた。私たちが行くのはいつも、青森駅の目の前にある寿司屋である。そこは小さな店で、6人が着けるカウンターと4人で座ればいっぱいになる座敷があった。私たちは、畳が敷かれた座敷を利用した。ある時に私は、河端の一言に、自分の気の利かなさを悔いたことがある。

河端は私に向かって「すいません、足を伸ばしていいですか?」と聞いてきた。「もちろん、伸ばしな」と私が答えると「膝が痛くて正座ができないんです」と話す。そう言えば、試合の前に痛み止めを打ってピッチに立っているのを知らされたことを思い出した。「つらいのにすまなかったな」という言葉と同時に「いつまで痛みをこらえて続けられるのか」という考えが頭に浮かんだ。

食事を終えて店を出た私は、彼らが車を停めている駐車場に向かう。

「じゃあ今日はホテルに泊まるから」

そう言って彼ら2人と別れる。

少し歩いてから後ろを振り返って河端の背中を見る。

もしかして「引退を決めたのか?」と直感的に思った。

シーズンが終わってから電話で本人から引退の知らせを聞く。

「もしかして、あの食事の席で、もう引退を決めていたの?」

私が問うと「話そうかと思ったんですが、オク(奥山)も一緒だったので、さすがに言えませんでした」と打ち明けられる。

サッカー選手にとって引退は必ずやってくる道だ。誰もが引退という道を通らなければならない。まだ動ける状態で身を引くのか。それとも体がボロボロになるまで粘って身を削るのか。それは、その選手の生き方に直結してくる問題だ。

「僕の中で『動けるうちに辞めたい』というエゴみたいなものがありました。それは、いままで辞めた選手を見てきて、俺も動けるうちに辞めたいという考えがあったからです。選手でいることに、こだわっているわけでもない。サッカーが好きで、全力でやってきた。体が動けるのにもったいないとは思わない。もし俺が30歳だったら、その考えがあったかもしれない。36歳になった俺は、サッカーをどうしてやるかというモチベーションの持ち方が変わってきたのです。以前なら、もっと上のチームでやりたい、J1でやりたい、日の丸を背負ってプレーしたいという気持ちがあったのですが、下のリーグでプレーするようになって、年を重ねるに連れて、いろいろと要求されることが出てくるじゃないですか。その中でモチベーションを保つ大切なものが、自分ではなく、目的のために自分は何ができるのかに変わってきたのです」

気持ちの変化は、突然にやってくるものだ。ただし、どうして気持ちが変わったのかの理由をあれこれ考えても、本当の答えには導かれない。なぜならば答えを知るのは、引退して現役時代との距離感を持てなければ、自分自身を俯瞰できないからだ。

「どうして気持ちの変化が起きたのか。それは自分では分からなかったのです。サッカーに向き合っていることは、若い時から変わらない。ただ目的の持ち方や自分の価値観が年を取るに連れて変わってきたかもしれません。俺の経歴から見れば、いろんな選手やチームと関わってきました。その中で、自分の立場も変わります。現役を続けていく中で『モチベーションに逃げていった』と言ったらそれまでですが、そうなのかもしれないですね」

Honda FCに勝てない理由

現役を引退すると聞かされた私は、河端にこのように問いかけた。

――河端くんにとって、ラインメール青森はどんなチームだったの?

河端 いままで所属したクラブの中で一番未熟で未完成なチームでした。何もかもが足りないチーム。必要なもの全てが足りない。現場のプロフェッショナル。経営のプロフェッショナル。選手のプロフェッショナル。どこよりも足りないものだらけでしたが、最もどこよりも劣っているのは環境そのものでした。

――それは東北社会人1部リーグから在籍している河端くんだからこそ発言できることだね。あの頃から比べれば、だいぶ環境も整いだしてきたからね。

河端 社会人リーグにいた時に比べれば、だいぶ変わりました。

――ところで、ずっと聞きたいことがあったんだ。Honda FCには最後まで勝てなかったね。それはなぜ?

河端 なぜラインメールがHonda FCに勝てなかったのかと言えば、選手個人個人のメンタリティーと言えばいいんでしょうか、そういうところに差が生まれてしまったからです。これはラインメールに限らないことで、JFLにいるクラブに当てはまることです。

俺自身、そういうメンタリティーの部分で負けていることに対して、悔しいし腹立たしい気持ちでいっぱいです。大切なことは、球際に対する激しさや、相手よりも走れるのかです。そこの部分でプレッシャーに行けない、相手をずっと見ている、ボールに足を出さない。

Honda FCとやる時は前半に、すでにもう押し込まれる。それは相手にビビっている証拠です。前半からそういうメンタルでいる時点で、すでに負けなんですよ。Hondaとの試合で失点した場面があったら、それはたまたまの失点などではない。やられるべくして、やられている。

サッカー的なこと、戦術的なこと、細かいことを言えばきりがない。一番問題なのは、戦えていない、ということです。ああ、これでは勝てない、と思いました。結果に対してはしょうがないけど、悔しいしすごく腹が立った。俺は、やれることはやったんです。俺は自負しています。選手として、やれることは全てやったんだ、と。ただし、それでもHondaには勝てなかった。

体はすでに42.195キロ走りきっていた

2017シーズンJFLセカンドステージ第10節・栃木ウーヴァFC(現栃木シティフットボールクラブ)戦を前に、河端はシーズンが終わったら引退しようと決めていた。頭の中では「普段通りにプレーして、試合に勝って終わろう」と思ってピッチに入った。試合に備えて十分に準備はできていた。キックオフの笛が鳴るまで、河端の中で何の変化もなかった。試合前半は、いつもの闘志溢れる激しいプレーでディフェンス陣を統率する。引退しようと決めた試合。特別に力が入ったというわけでもない。淡々と前半の戦いを終えていた。

しかし、後半に入ってすぐに異変が起こった。足がつって体に力が入らない。

「なんだか、ふわふわしているんですよ。力が入らない」

河端は、そう感じていた。

試合が終わり、青森までの帰りのバスで、河端は自分のサッカー人生を振り返って考えた。

「栃木ウーヴァ戦は、頭で考えたことを体現できなかった。普通にやろうと思ったけど自分では考えられないくらい力が入っていた。プロになることはスタートだと捉えますよね。そして引退はゴールであると。でも俺は、途中の通過点であって、立ち止まったり、変化があったりする通過点だと思っていました。だから引退はゴールではない。引退は、新たなスタートだとは思わなかった」

「引退は、42.195キロのうち15キロくらいだろうと思っていた。普通は42.195キロ走りきることが引退だと思うじゃないですか。だからまだ余力があるんだと。そう思っていたのですが、体はすでに42.195キロ走りきっていた。頭と体が一体になれないから、俺はJ1でプレーできなかったんだなと知らされました」

河端の言葉を聞いて「そうか」としか返せなかった。彼は電話を切る前、このように告げた。

「自分にとって引退はとても大きなことなんだけど、僕がやれることはやりました。僕は自負しています。選手としてやれることはやったんだと」

ラインメール青森が東北社会人1部リーグからJFLに昇格できたのは、選手としての河端の存在が大きい。時に激情する精神を持って、時に論理的な思考を持ってチームメイトを鼓舞する河端の勇姿は、もうピッチで見られない。それは本当に寂しいことなのだけれども、彼のイズムはさまざまなところで受け継がれているはずだ。

現在、河端は、生まれ故郷の北海道に戻り、札幌大学蹴球部の監督を務めている。選手として引退はしたけれども、彼のサッカー人生は42.195キロのうち15キロを過ぎたところなのだろう。今後の河端の監督人生に注目したい。

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