川本梅花 フットボールタクティクス

【無料記事】どんな状況でも、この世にはフットボールがある【コラム】ドキュメンタリー『引き裂かれたイレブン~オシムの涙~』を見て

『引き裂かれたイレブン~オシムの涙~』を見て

フランス語を話す2人の指導者。ともにサッカー日本代表監督を務めた2人。イビチャ オシムとヴァイッド ハリルホジッチは、志半ばに代表監督から身を引くことになった。

ハリルホジッチ前監督は、2018FIFAワールドカップ ロシアを2カ月後に控えた段階で、契約を解除される。この事態を受けて、日本サッカー協会の技術委員長を務める西野朗が、代表監督に就任した。ハリルホジッチの解任劇を見て、なぜかオシムのことを思い出した。

今回、取り上げるのは、ドキュメンタリー作品である。ドキュメンタリーは、歴史という事象を映像で追憶することだと思う。『引き裂かれたイレブン~オシムの涙~』は、旧ユーゴスラビア代表の最後の監督となったオシムと、当時代表でプレーしていたプレドラグ ミヤトビッチ、ダヴォル シュケル、ズヴォニミル ボバン、ロベルト プロシネチキなどの映像やインタビューを交え、民族紛争によって解体されたチームの実像に迫ったドキュメンタリーである。

「笑い」の底にある生活、「サッカー」の裏にある戦禍

ハリルホジッチの記者会見とは違って、オシムの会見は奇妙な緊張感に覆われている。シニカルな表現をして記者の頭の中を刺激してくる。当時の記憶をたどって、印象に残るオシムの会見を書き起こそう。

私は、2007年3月24日に日産スタジアムで行われた、日本代表対ペルー代表を観戦した。そして試合後、オシムの記者会見に出席した。会見場に姿を現したオシムに、司会者が「試合の総括」を求めた。オシムは、「記者ではなく司会者が最初に質問をするようになったのですね」と話す。会見場は、一瞬にして沈黙し、どんよりとした空気が漂う。これは、オシム流のジョークなのだろうが、彼が表情一つ変えずに話すものだから、ジョークには全く聞こえない。オシムは、会見中、記者の質問に答える際、何度か笑いを誘おうとして言葉を選び話していた。けれども、ほとんど「笑い」にならなかった。

ジョークを笑えない日本の記者

「笑い」に関して、哲学者アンリ=ルイ ベルクソンは、「人は共感して笑うのではなく、対象を客観的に見て笑う」と説明する。オシムの発言には、ベルクソンの言う対象を客観的に見た「笑い」が含まれている。会見で、オシムとある記者で、こんなやり取りがあった。記者が「気負いが見えたという選手に、試合前そのことを注意したのか」と質問した。オシムは「試合前に何か一言二言伝えたら、選手は変わるというのだろうか」と返す。もし日本人の監督だったならば、同じ質問にどうやって返答するのか。例えば「海外組は経験豊富だから自分でコントロールするだろうと信じていた」と言うのだろうか。

「対象を客観的に見て笑う」と言う姿勢は、欧州で生まれ育った人独特のものだと思う。日本人は、こう言った「笑い」を「笑い」と思えないので、オシムの発言となかなか噛み合ない。オシムの発言が面白いのは、この「笑い」が「へりくつ」になる手前で、話を正論に戻すところなのだ。このようなロジックの組み立てが会話の中でできる人を、機知に富んだ「エスプリ」と言うのだろう。

オシムのサッカーを語るには、彼がどうやって生きて来たかを知る必要がある。『引き裂かれたイレブン~オシムの涙~』は、オシムの人生を知るための一つの資料となる。

日本人の私は、民族紛争で町が戦場となった悲惨さを実際は知らない。しかし、この作品の中で映し出された、焼け跡の家や崩れ落ちたビルを見せられると、本当に人間は愚かな生き物だと、怒りとも虚しさとも言えない感情が湧き出てくる。

この作品の舞台となった旧ユーゴは、「七つの隣国、六つの共和国、五つの民族、四つの言語、三つの宗教、二つの文字からなる一つの国家」と呼ばれる多民族国家を形成していた。この複雑な民族集合体を一国家としてまとめたのは、第二次世界大戦中、ドイツ軍に抵抗しパルチザンを率いたヨシップ チトーの功績が大きい。しかし1980年、チトーの死去と同時に、この統一国家は解体の道をたどっていく。旧ユーゴの民族紛争に詳しいジャーナリスト、千田善の『ユーゴ紛争-多民族・モザイク国家の悲劇』(講談社)によると、「民族浄化」という狂気的発想が、紛争の萌芽(ほうが)になったと言う。

民族紛争を止められない世界

1992年5月22日。旧ユーゴ代表は、欧州選手権に向けてスウェーデンに出発する直前だった。この日、オシムは代表監督辞任の会見を開いた。この時代は、クロアチアがユーゴからの独立を目指したクロアチア紛争(1991-1995)と、ボスニア紛争(1992-1995)の渦中にあった。ボスニアの首都サラエボ出身のオシムは、代表監督を務めるユーゴと彼の故郷が紛争する中、「もうこれ以上監督を続けることができない」と言って辞任した(代表チームは大会への出場権を剥奪された)。カメラは、その会見を映し出す。次に、オシムの顔がアップにされる。彼のほほには、流れる涙の跡が残されていた。

それから7年後の1999年、欧州選手権予選、クロアチア代表対ユーゴ代表で、旧ユーゴの選手たちがそれぞれの国家の代表として、同じピッチの上に立った。映像は、オーストリアの都市グラーツの自宅で、その試合をTVで観戦するオシムを映す。彼の表情は、心配と期待と安堵が交じった、教え子を見守る教師のようだ。紛争という過酷な状況にあっても、サッカーを捨てないでプレーしてきた教え子たちを見つめる彼の表情に、オシムの人間性の豊かさがうかがえる。

いまはもう旧ユーゴは解体され、2003年に国名をセルビア・モンテネグロに改称。さらに、セルビア共和国とモンテネグロ共和国に分かれた。しかし、世界中のあちこちで民族紛争は止めることがない。それは、「何が問題なのか、完全に分かっていない」からだろう。

このドキュメンタリーは、見た者に感動など与えてはくれない。このフィルムの中には、闘争しかない。それも、人間のどうしようもない本能の部分にあるものだ。それでも、この作品に希望があるとすれば、それは、どんな状況でもこの世に「フットボール」があるということだ。

川本梅花

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