川本梅花 フットボールタクティクス

【無料記事】ボールを持たないのならサッカー選手ではなく陸上選手になればいい【コラム】あの試合でのクライフの談話

あの試合でのクライフの談話

遅くなりましたが、あけましておめでとうございます。

やっと休みが取れて、コラムを書く時間が作れました。

さて、執筆した雑誌についてお話します。

去年の12月15日に発売された『サッカー批評(2017 ISSUE 88)』(双葉社)で記事を書いています。そのタイトルは「バルセロナ、バイエルン、マンチェスターシティと進化を続ける ジョゼップ・グアルディオラ その「戦術」の変遷」です。雑誌のp.12からp.15までの4ページを担当しました。

詳しい事柄は、本サイトの12月24日の【アナウンスパブリック】の中で紹介されています。

記事のテーマはベップの戦術の変遷です。彼の戦術の変遷を語る時に忘れてはいけない試合があります。これは私の意見としてですが、ベップの戦術(戦い方)について、彼自身が感じただろう大きな分岐点となった試合があった、というものです。

その試合とは何を指すのでしょうか? それが、本コラムのタイトル「あの試合でのクライフの談話」に通じるものです。あの試合とは、2010年4月20日UEFAチャンピオンズリーグの準決勝のFCバルセロナ対インテル・ミランの一線を指します。試合は、インテルの勝利で終わるのですが、問題は試合を見る視点なのです。インテルの戦い方に、ベップが「このままでは勝てない」と認識させた試合だったのではないのか、という視点を持って見てみることで、この試合の意味が違ってきます。

この試合について、ヨハン クライフのコメントを紹介しましょう。当時のインテルの監督は、ジョゼ モウリーニョでした。

「モウリーニョは生粋の働き者だ。彼は、勝つためにはすべてを使いこなす。ただ、私にとって何よりも重要なことは、しっかりとサッカーをすることだ。それはボールを保持するということである。ボールを持とうとしないのであれば、サッカー選手ではなく陸上選手になればいい」

この試合のインテルのボール支配率は約30パーセントに過ぎませんでした。そこでクライフは、上記で引用したコメントを発したのです。

クライフが目指したサッカーは、ボールを相手に奪われることなく、パスで繋ぎながらゴールを挙げるサッカーです。昨今、ボールをポゼッションすることが目的になっていて、ゴールを奪うことの目的意識の薄さが話題になったことありました。そこには、ポゼッションは、手段であって目的ではない、という考えがあります。それは、確かにそうなのでしょう。

しかし、ベップの戦い方は、ボールをポゼッションしながらゴールに向かう時も、自陣後方で相手からインターセプトしてカウンターを仕掛ける時でも、彼の根底にある考え方は、ボールを保持している限り、失点はしないというものなのです。ベップはどのチームを指揮していた時も、攻める姿勢を習慣化することで、選手の意識革命をおこなってきました。そこには、「ボールを保持している限り失点はしない」というクライフの思想が継承されている、と私は思います。

やはり、クライフが描いた「美しいサッカー」は、継承されるべきスタイルなのだと思います。

今現在のサッカー史の中で、クライフの継承者は、ベップをおいて存在しないのです。

川本梅花

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