川本梅花 フットボールタクティクス

【インタビュー】再出発を誓って―伊藤槙人が“原点”を取り戻すために旅立つ―【無料記事】

【インタビュー】再出発を誓って
―伊藤槙人が“原点”を取り戻すために旅立つ―

プロローグ

水戸ホーリーホックに加入していた伊藤槙人が、2017年7月25日に藤枝MYFCへ期限付き移籍をした。藤枝は、2014年にJ3リーグに加盟している。今季の成績は、8月5日時点で7勝4分け6敗、9位につけている。直近5試合を見れば、4勝1分けとチームは上昇機運にある。静岡県出身の伊藤にとって、子供の頃から馴染(なじ)んだ気候の中で、心機一転してプレーできることは大きな意味がある。藤枝への加入コメントでも、出身県のクラブでのプレーを楽しみにしているようだ。

http://myfc.co.jp/news/20170725/19386/

水戸ホーリーホックから加入しました伊藤槙人です。チャンスをくれたチームと大石(篤人)監督にとても感謝をしています。出身地でもある静岡のチームでプレーできることを光栄に思い、チームに貢献し藤枝の勝利のために全力を尽くすので応援よろしくお願いします

伊藤は、2016年にジェフユナイテッド市原・千葉から水戸に移籍してきた。加入初年度、シーズン当初は、スタメンで試合に使われている。しかし、徐々にベンチを温めるポジションになってしまう。そのシーズンは、リーグ戦18試合に出場したのだが、今季は2試合にとどまる。水戸の基本フォーメーションは「4-4-2」となっている。伊藤が試合に出るには、4人のDFのどこかに食い込まないとならない。センターバック(CB)が本職の彼は、サイドバックもこなせる。しかし、水戸で期待されたポジションはCBだ。水戸のCBには、福井諒司と細川淳矢がレギュラーとして不動の地位を築いている。さらに7月17日、コンサドーレ札幌から大型DFとして期待されている永坂勇人が移籍してきた。

シーズン途中における伊藤の期限付き移籍は、彼が置かれた状況を見たら、試合に出るためには当然の選択である。今回掲載するインタビューは、2016年のシーズン当初、伊藤が試合に使われていた時期に取材をしたものである。伊藤がなんらかの活躍をした時に公開をしようと準備していた原稿だが、伊藤が藤枝に移籍をする今回、掲載することにした。なぜなら、プロ1年目に千葉を解雇されて、合同トライアウトで西ヶ谷隆之監督に評価されて水戸に加入した伊藤が、もう一度、水戸へやって来た時の気持ちを思い出してチャレンジをしてほしいと考えるからだ。伊藤は、DFとしてのポテンシャルに期待できる選手である。再出発を誓って、藤枝でプレーヤーとして、1人の人間として、大きく成長をしてもらいたい。

ノンフィクションのカテゴリーにある本サイトの「言葉のパス」は、物語形式をとっている。今回は、伊藤槙人の声を届けることを主体にして、インタビュー形式で掲載することにした。

1年間で終わったジェフ千葉時代

――まず、ジェフユナイテッド市原・千葉に加入した経過を教えてくれますか?

伊藤 大学生の時に、夏にジェフから「練習にこないか?」と呼ばれたんです。本来なら2日間練習参加することになっていました。1日目が練習で、2日目が試合だったんですが、試合がなくなってしまったんです。1日間の練習で評価されることになった。ジェフからの結果を待っていたんですが、ジェフがプレーオフに進出するので、「終わるまで待ってくれ」と話されました。で、返事は「ダメ」でした。行くところがなくなってしまったので、「サッカーを辞めて就職活動をしよう」と思っていたら、2月になって、再び「練習に来てくれないか」と声を掛けられました。そこで評価してもらって、契約してくれたんですけど、1年で普通にクビになってしまいましたね。

――なんでクビになってしまったんですか?

伊藤 自分のプレーで……。やっぱり一番の理由は、プレーでのアピール不足だったのかなと思います。チャンスはもらったんです。何度かベンチ入りさせてもらいました。「こいつをこれから使っていこう」と思わせることができなかった。能力不足だったかなって。「もっと育てていきたい」と思わせられなかった。それが全てです。

――具体的に、何がダメだったんですか?

伊藤「何が?」っていうと、やっぱり……試合で……なんだろう……もっとこう、自分から「しゃべっていく」というか。DF同士でのラインの問題だったりですね。

――コーチングの問題ということですか?

伊藤 はい、コーチングもあります。もっと「自分はこういう選手だ」っていうのをアピールできなかった。

――それは、どういう時に思ったんですか?

伊藤 いやもう、思ったというより、ジェフでの1シーズンを終えて、先輩から言われたんです。「お前は、もっとしゃべろ」って。自分ではやっていたつもり、だったんですけど、プロの中では足りなかったんです。

――助言をしてくれた先輩は、誰だったんですか?

伊藤 ぐっぴーさんって呼んでたんですが、GKの岡本(昌弘)さん。(佐藤)勇人さんと話した時は、「お前はいい(プレーヤーだ)と思うから、声を出してもっとアピールしなよ」って言われたんです。

――ジェフをアウトになった時は「なんで俺が?」って思ったんですよね。

伊藤 そりゃ、思いましたよ。

――「1年間で結果を出せない」ということで、契約更新されない。見切りが早すぎるような気はします。ただ、「プロの世界」として見たら、クラブも難しい決断だったかもしれませんね。

伊藤 自分的に思ったことは、「プロの世界はこういうもんだから」ということです。結果が出たなら、それはもう仕様がない。次をどうしようって思いましたね。

水戸ホーリーホックでの再起

――それで、合同トライアウトを受けたんですね。トライアウトで、水戸からオファーがあった。

伊藤 そうです。トライアウトが終わって、水戸から話がありました。

――選択肢として、東南アジアとか、海外挑戦しようとは考えなかったんですか?

伊藤 それは思いました。英語を身につけたかったんです。海外に行って、また日本で、例えばJ2でプレーできるための近道じゃないのかなって頭をよぎりました。JFLのクラブからも話があったんです。ただ、J1やJ2の高いレベルでやりたいっていう思いがあって。そうなるとトライアウトを受けてみて、Jのクラブからの連絡を待とう、と考えました。

――トライアウトの後、水戸から連絡はすぐに来たんですか? トライアウトは12月ですよね。

伊藤 12月の初めの方です。

――連絡は、年を越してきたんですか?

伊藤 2日とか3日でした。

――選手として、ケガとかは何もなかった。アピール不足という解雇の理由なんですが、伊藤選手自身はどう考えています?

伊藤 アピール……んん……能力不足なんだと、僕は思います。

――でもね、水戸にやって来て、今はレギュラーで使ってもらっていますよね。ジェフでは、使ってもらえなかった理由ってなんだろう? 今のプレーを見ても、何かが、しっくり行かないんですよね。

伊藤 自分的な解釈でいいですか? 「何か」っていうと、千葉で僕がダメだったのは、練習でも試合でも、「声を出してこなかった」ということです。「自分がリーダーになって」という意識を持てなかった。「このディフェンスラインのリーダーは自分なんだ」っていうくらいの意気込みが必要だったんです。そうじゃないと、プロでは使ってもらえない。「DFの相方」みたいじゃなくて、「リーダーなんだ」っていうこと。水戸には「自分が統率する感じで」やろうって決めてきたんです。そこは、意識しています。

――水戸では、移籍して初めの練習の時から、そういう意識を持ってプレーしていたんですか?

伊藤 そうです。練習の中でも、自分から声を出してやる。そうしようと、決めていましたから。水戸に来てすぐは、ディフェンスのやり方が千葉とは違ったから、戸惑った部分もありました。守り方でいうと、セットプレーでのゾーンの場面とかですね。千葉でのゾーンは、ニアサイドの相手選手に、ゾーンではどこで守るのか、というやり方だったんですが、水戸は、場合によってマンツーマンでやるというのがあって。とても細かいところがあるんです。練習をしていて、最初の方は、自分の中でも難しかった。

常に話し掛け、アドバイスを聞く

――最初は守り方というか、やり方が違っていた。戸惑ったんだけど、慣れて来て、ここで自分が率先して声を出していかないとならないと考えた。ジェフをアウトになった経験を生かして、考えたことなんですね。 今は、どうですか。満足していますか?

伊藤 全然満足していないですね。

――それは、どういう部分で満足していないんですか?

伊藤 さっきも言いましたけど、リーダーっていう部分ですね。そこなんですけど、自分のプレーには満足していないんです。ディフェンスラインを統率する立場としては、直す部分もまだまだあって、満足できないんです。

――どうしても気になってしまうんですよね。「なんでだろう?」って考えたんですよ。どうしてジェフを1年間でアウトになったのかって。 セレッソ大阪戦(2016年3月6日、0-1)を見たんです。伊藤選手は、対人でも強かったし、ポジショニングも良かった。そういう選手が、「なぜ、たった1年で」と思うと、不思議でしかたなかったんです。伊藤選手自身、コーチング以外に「何かこれかな」と感じるものはあるんですか?

伊藤 自分的には、やっぱりコーチングの部分ですかね。自分から発信していくっていうのが、足りなかったと思ってます。

――水戸に来て、いろいろ影響を受けることもあると思います。いろんな先輩がいますよね。

伊藤 それは、いっぱいありました。細さん(細川淳矢)にしても、常に話し掛けてくれます。そういうところは見習わなければ、と思いました。(本間)幸司さんからは、練習から「お前がどう守ってやっていくのか、っていうのを、お前が発信していかないといけないぞ」って言われています。先輩からや、みんなから、アドバイスをもらっています。話を聞くのも、大切なことなんだなって思いました。

守備における水戸と千葉の違い

――水戸の戦い方や、チームの雰囲気はどうですか?

伊藤 試合に関しては、全員で守備をして、全員で攻撃に関わる。「みんなでやろう」っていう気持ちがあるチームだと思います。

――(2016年3月20日、第4節、ファジアーノ岡山戦で2-3の3失点)チームの失点に関してはどう思いますか。

伊藤 ゼロにしなければならない。ゼロならば負けることはないので。自分としては、その点に関しても納得していないんです。

――伊藤選手自身、自分はどんなプレーヤーになりたいのですか?

伊藤 周りから信頼されて、「あいつのところにいったら大丈夫だ」っていう信頼されるプレーヤーになりたいですね。それと、球際に強い選手。「誰でもできることをする」っていう言い方はおかしいんですが、「誰でもできるっていうことを確実にできる」というか。

――守備に関して、水戸は基本的にゾーンですよね。

伊藤 はい。ゾーンでベタ外(外に追い出してボールを奪うやり方)ですね。場所によっては違うんですけど。

――監督の指示は、ものすごく細かいんですか?

伊藤 いや、ものすごく細かいということはないです。基本的には、ジェフでやっていた時と変わりません。ちょっとした違いはあります。場所によっては、マンツーマンで守備をするところとか。

――自分の中では、水戸に来てすぐに吸収できたんですか?

伊藤 キャンプの中で、やりながらちょっとずつ修正していった感じですかね。

「水戸にいるだけじゃダメだから」

――水戸に来たからには、「レギュラーとして試合に出てやろう」「ポジションを奪い取ってやろう」いう意気込みでやってきたんですよね。実際に、試合に出てみて、どんな感じですか?

伊藤 それはやっぱりもちろん、水戸から話をもらった時から、そう思っていました。千葉では、ずっとベンチにも入れなかった経験をしていたので。でも、そういう経験をしていないと成長もできないだろうし、試合に出ていないと成長できないこともあるんだと思いますね。

――水戸は、財政的なことや、J1のライセンスの問題とか、難題が多くあるクラブですよね。選手を見ても、水戸にやってきて、力をつけてJ1のクラブに行くパターンがあります。登竜門的な意味合いを持っているクラブ。伊藤選手は、次へのステップという意味で、水戸にどんな印象を持っていますか?

伊藤 今の時点で、ですか? まあ、その、水戸に来て上位にあるクラブを意識して目指していかないと、移籍した意味がないと思います。まずは、試合に出てチームが勝たないとダメだし、選手として自分の質っていうのもあるんですが、常にJ1のクラブを目指していければ。

実は、水戸からオファーをもらった時、西村(卓朗)強化部長ではなくて、(前任者の)強化部長だった小原(光城)さんだったんです。小原さんから「水戸にいるだけじゃダメだから」って言われたんです。言い方はあれですが、「踏み台にして上がっていく気持ちでやった方いい」と話されたので、「あっ。そうか、常にハングリーじゃないといけないんだな」っていう考えを持ちましたね。

――上位のクラブに行くために、必要なことはなんでしょうか?

伊藤 そうですね。上でやっていく、っていうことだと、集中力がまだまだ足りないですね。僕は、1年間でプロの厳しさを知らされました。その時に、自分で理解したのは、「中で生き抜いていくためには、人よりも何かをしないとならない」っていうことです。人とは違うものがないと、生きていけないのかな、っていう考えを持ちました。

――クビを宣告されたその時に、ですか?

伊藤 はい。「使われるためには、どうすればいいのか」と。ディフェンスリーダーだと試合に使われるんじゃないかな、って思ったんです。そこを意識してやっていこうと。

――駒沢大学の時は、どんなプレーヤーでしたか?

伊藤 駒沢では、ヘディングが得意なので、相手のボールをヘディングして潰(つぶ)しに行くっていうプレースタイルでした。ボランチもやっていたので、そうなるとやっぱりこう、声は出さなければならない立場にありますよね。「自分がこうやって動くから、こうやって動いてほしい」。やっぱり、当時も声は出せていなかったのかなって思いますね。

――そうした、なんて言うか、消極的というか、控えめというか。自分の中で考えを変えた部分があるんですね。

伊藤 考え方を変えたっていうか、甘かったっていうことです。プロという者に対しての考え方が甘かった。

――「甘かった」とは、どういう部分ですか?

伊藤 まあ「このくらいで足りるだろう」という、「このくらい」の位置が、自分で考えていたことよりも、上だったということです。やるんだったら、自分が思っている以上のことをやらないと、いけないんです。

――例えば、それは、トレーニングに関して?

伊藤 まあ、そうですね。トレーニングに関しても、試合に関してもですね。大学だったら、今までプレーしてきた相手選手は、「このぐらいのポジショニングで、これくらいで守れた」というのがあった。プロになってやってみると、特に、相手の選手が外国人だったりすると、最初のスピードが違ったんです。体の強さも違う。今まで経験してきた判断基準ではケアできない。自分の判断基準が甘いから、やっていけなくなった。1年たってから、そのことに気付かされたんです。試合を読む力。コーチングもそうです。相手との駆け引きもそう。経験を踏まえて、ひと回りもふた回りも、選手として大きくなる必要がある。今は、もっともっと成長したい。

エピローグ

取材の最後の方に、「影響を受けた恩師の言葉はありますか?」と尋ねた。彼は、大学の恩師の言葉を教えてくれた。

「サッカー選手である前に人間で、技術を高めるのも人間性がないとアップしていかない」

伊藤は、「ずっとその言葉が、頭の片隅にあります」と言う。さらに「自分は結果がなかなか出なくて、それでも応援してくれるサポーターがいるわけで。その人たちのためにも、なんとか波に乗っていきたい。応援し続けてもらえたら、ありがたいです」と述べる。

藤枝でプレーしたならば、水戸にやってきた時の気持ちを振り返って、原点を取り戻して、再び水戸に戻って来られることを願って、このページを閉じよう。

川本梅花

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