川本梅花 フットボールタクティクス

【ノンフィクション】遅咲きのゴールキーパー、笠原昂史の魂のセービング【無料記事】

【ノンフィクション】遅咲きのゴールキーパー、笠原昂史の魂のセービング

練習場に響く選手とコーチの怒鳴り声

「俺は、やってるよ!」

水戸ホーリーホックGK笠原昂史の怒鳴り声が練習場に響き渡る。

「やってないよ。もっと声を出せ!」

GKコーチ河野高宏の声が笠原の言葉を遮った。

「お前、全然できてないよ」

同コーチの言葉が追い打ちを掛ける。

「は?」 と言ってプレーを止める笠原。

「ちゃんと声を出してやってるだろう」

「なんにもできてない」

2人の言い合いが続く中、異様な雰囲気に気付いた萬代宏樹が間に割って入る。

「おい、冷静になれ」

そう言って笠原を制する。

コーチの指摘に納得が行かない。萬代の助言を振り切って言い寄ろうとする笠原。河野は笠原の目を見ながらより大きな声で言葉を投げ掛ける。

「お前……、今やらなかったら絶対に後悔するぞ!」

笠原は、反転しながら河野に背を向ける。

「ああ、分かった、分かった、もういいよ」

そう吐き捨ててプレーを続けた。

笠原は、その時の状況を次のように話す。

「ミニゲームをやっていたんです。その時に、コーチングのことを頻繁に言われた。僕は、やっているつもりでした。ミニゲームが終わった後も、半ば喧嘩(けんか)みたいな感じで言い合いました」

現代サッカーにおけるGKのコーチングは、ゲームを左右するほど大きな役割を担っている。GKがDFにプレーの指示を出すことで、ディフェンスしやすい状態を作れる。俯瞰(ふかん)してピッチ全体を見られるGKは、コーチングによって選手を動かしてゲームを支配できる存在でもあるのだ。笠原は、コーチングの重要性を肌身で感じてきた。自分では声を出して的確に指示を送っていると信じている。しかし、GKコーチである河野の目には、笠原のコーチングは不十分に映っていたのである。

第2GKとして生きてきた

2015年のリーグ戦、笠原は8試合に出場した。もう1人のGK本間幸司は、35試合に出場している。笠原の8試合に対して本間の35試合。この戦績の違いは、笠原が2番手である事実を示している。アスリートである限り、それもプロフェッショナルである者が、好き好んでサブメンバーに甘んじるはずはない。誰もがレギュラーを目指し、あすの自分がスタメンでピッチに立っている姿を思い描く。だが現実は、実力と運を備えた者のみが光を浴びる。それも、たった1人だけ。フィールドプレーヤーではないGKに与えられたポジションは1つだけなのだ。

2016年になって、笠原は第2GKという存在からの決別を心に誓ってシーズンを迎えようとした。2月28日の開幕戦・京都サンガF.C.戦[1△1]から、3月13日の第3節・ツエーゲン金沢戦[0△0]まで本間がスタメンを務める。ベンチを温めていた笠原は、本間のケガによって試合で使われることになった。3月20日の第4節・ファジアーノ岡山戦[2●3]から4月9日の第7節・愛媛FC戦[1●2]までの4試合。笠原はスタメンで試合に使われた。戦績は、1勝3敗の負け越し。チームは、1勝2分け4敗で18位に低迷した。

笠原は、4月17日のV・ファーレン長崎戦で先発出場予定だった。しかし、熊本を中心に起きた大震災の影響で試合が延期になる。4月23日の第9節・東京ヴェルディ戦から、ケガから復帰した本間がスタメンで起用された。3-0で勝利を収めた水戸ホーリーホック。本間の安定感が際立った試合となった。

「(本間)幸司さんがケガをしたので、岡山戦から僕が使われました。長崎の試合も『お前で行くよ』という感じだったんですが、試合が流れたことで、次の週には幸司さんがスタメンになった。すごく悔しかった。『なんでなんだろう』と悩んだ。試合で使われないのは、『実力が足りないからだ』『満足させられるプレーができていないからだ』『自分が悪いんだ』と思ったんです。自分ができていなかった部分を、次、試合に出ることになったら改善していこう。『あいつ、変わったから使おうか』となるように、サブの間にトレーニングをするしかない」と、笠原は話した。

メンタルが強くなった理由

笠原は、水戸に加入して6年目になる。船橋市立船橋高校から明治大学に進学してプロになった。一見すると、名門サッカー部を歩んだエリートのように映る。「明治大学の時も試合に出たり出なかったり。4年生になって1試合もリーグ戦に出られなかった」と語る笠原。自身の存在を「水戸に拾ってもらった選手」だと付け加える。

「変な言い方かもしれませんが」と前置きして、「サブには慣れているんです」と苦笑いしながら呟(つぶや)く。半面の真理。「ずっと何とかしないといけない」と彼は考えてきた。「正直、気持ちが切れそうになる時があるんです」と顔を下に向けることもある。「ああ、もうダメだ」と何度も思いつめた。

第2GKと呼ばれる選手が抱えるジレンマ。打ち破れそうで打ち破れない第1GKの壁。手に届くかもしれない場所は、もがけばもがくだけ遠のく場所になっていく。技術的にはっきりとした違いはない。劣っている部分もあれば優れている部分もある。では、何が立場を分けるのだろうか? 笠原は、「第1GK」と「第2GK」の違いがどうして生まれるのかをずっと考えてきた。

「考えるだけ無駄だ」と感じる時もあった。だからと言って、第2GKというポジションに満足はしていない。いったいどうすれば、あすへの希望が見えるのか。この試合もサブだった。次の試合もベンチスタートだった。繰り返される屈辱の日々。精神が壊れそうになる。

笠原はある日、サブのポジションに慣れている自分に気付く。水戸に加入して6年。ずっと味わってきた第2GKの苦渋。彼は知らないうちに、自身の存在と真正面に向き合い続けたことで、忘却という大きな救いを手に入れた。簡単に言えば、割り切って気持ちを切り替えるすべを得たのだ。

「『もうダメだ』と思うけど、それは1日で終わるようになった。その日はしょうがない。だけども次の日は、パッと忘れてトレーニングする。僕はトレーニング嫌いじゃないので。メンタルはまだまだですが、だいぶ落ち着いてきたと思っています。試合の中で、キックが外に出てしまった。『なんで、そうなっちゃうんだよ』と後悔する。『どうしよう、どうしよう』と焦ってしまう。そこから少し崩れてしまいそうになる。それが昔の僕と言うか。今は『終わったことはしょうがない』と、すぐに切り替えられるようになりました。『ミスしたことを反省するのは、あとからにしよう』と考えます。きょうミスしたことは、あすのトレーニングで改善していく。僕自身、完璧主義者なんですよ」と笠原は笑って語る。

訪れたチャンスをつかみ取れるのか

今季二度目のスタメンのチャンスが笠原に訪れる。韓国代表としてリオ五輪に出場予定だったDF宋株熏が、ケガで試合に出られなくなる。190センチの宋株熏は、長身を活かした高さを期待された。守備では、ハイボールの競り合いにおける強さが見せ場だった。宋株熏の欠場が決定された時、相手の高いクロスボールに対応する選手が必要になる。笠原の高さにスタッフの視点が集まった。

7月31日、第26節、ツエーゲン金沢戦にチャンスが巡ってくる。3-0で水戸の完勝だった。試合を振り返って、笠原は次のように話す。

「チャンスらしいチャンスも相手はなかったですから。まあ、取りあえず、試合に出られなかった間に、自分の課題についてしっかり準備してきました。きょうは、少し形にできた試合だったかな、と思います。形にできたところは、コーチングの部分や守備の雰囲気のところです。すごく意識してずっとやってきました。それがどういう方向に行ったのかは、僕自身分からないですけれども、1つゼロに抑えられたというところで、春先に出ていた失点が続いたというところは、少し改善ができてきたのかな、と自分なりには思います」

笠原が、大きな自信を得た試合があった。8月7日、第27節・松本山雅FC戦[0△0]である。試合終了間際、元チームメイトの三島康平が至近距離からシュートを打ってきた。笠原は成功の場面を回想する。

「瞬間的に飛び込まないで我慢しようという判断ができました。角度もそんなになかったので、ブロッキングに行けば、体のどこかに当たるだろう、と考えました。冷静にプレーできていた。トレーニングで失敗はするんですよ。飛び込んでかわされて、シュートされる。トライ&エラーですよ。やって失敗してまたチャレンジして。その積み重ねが生きた1つのプレーでした」

失敗の場面では、8月11日の第28節・ロアッソ熊本戦[1△1]を挙げる。30分、黒木晃平に豪快なシュートを決められた。

「完全なポジショニングミス。マイナスに持ち出されて切り返された瞬間に、クロスを予測して動いてしまった。少しニアを開けてポジショニングしたんです。『クロスが来る、クロスが来る』という思いが強すぎた」

熊本戦後の監督会見で、西ケ谷隆之は笠原に関して次のように話した。

「失点はあったけど、安定していた。前節(松本山雅戦)出た感じよりも、メンタル的に、オフザボールに対するコーチングにしても、今はやれているのかな、と。バタバタせずにやれている。ハイボールに対して、あそこでGKが出られるというのは、うちにとって高さに関して助かっています。キックもしっかり飛ぶから、陣地挽回というか、うちに取り戻せる。ゲーム(の流れ)を感じながら、やれているので、そこをもっとしっかり続けていければ、もう少し安定していく」

西ケ谷監督は、選手の性格と性質を見抜く。会見で全てが話されている。コメントにある「コーチング」が笠原にとって大きな宿題であるのだ。

自分は本当にやれているのか、本当にやっているのか

7月31日のツエーゲン金沢戦が迫っていた。紅白戦でレギュラー組とサブ組に分かれて試合をする。その時に、選手は次の試合でスタメンだと知らされる。前日の河野コーチとのやり取りで、笠原は自分の発言を「謝らなければ」と決めて練習場に向かう。

「昨日は申し訳なかったです。すみませんでした」

笠原が頭を下げる。

「いいんだよ、そこはプロだから。言い合いになったり、意見をぶつけ合うことがあっていいんだよ」

とコーチは大きな器を示して笠原を迎え入れた。

前日に、コーチに言われた言葉が何度もリフレインした。

「今やらなかったら絶対に後悔するぞ!」

笠原は、自分に問い掛ける。

「俺は、俺を許すのか、と自問自答しました。俺は、自分に聞くんです。本当に俺はやっていたのか。やっている気分になっていただけじゃないのか。このままじゃダメだろう。俺は何も変わっちゃいない。俺が変われれば、新たな景色が見えてくるかもしれない。それは今じゃないのか。俺は、俺を許すのか」

彼は、言葉を続ける。

「言われたその日は『なんだよ』と思いました。でも、すんなり受け入れることができた。自分でも、コーチングという部分は課題だと考えていた。意識してやっていたんですが『まだ足りてない』と指摘された。それに、言われぱなしが嫌だったというのもあります。コーチが指摘したことは間違いじゃない。客観的に見てもらって、自分ではやっていたけど、プロのコーチから見たら『足りない』と言われた。じゃあ『絶対に何も言わせないようにやってろう』と思ったんです」

その日の練習では、いつもの倍以上の声を出してディフェンス陣に指示を送った。

「なんだよ、やればできるんじゃないかよ」

河野が声を掛けてくる。

「コーチングで楽しくなってきてないか。自分の思い通りにディフェンスを動かした時に、楽しくない?」

そう言って近づいてくる。

「はい」

腹の底から大きな声を上げて答える笠原がいた。

金沢戦を終えて、河野が笠原に伝えてくる。

「やれていることは多くなって、しっかりとできていると思う。クロスの処理とか修正しないとならない部分はある。それも含めてチャレンジしているから。よくなっているよ。これを続けていくことが大切じゃないのか」

笠原は、笑顔で話し出す。

「本当に、さらに意識して取り組めるようになりました。見えるものが変わってきたんです。僕は、あのとき言われた言葉を心に刻み込んでプレーしています。これからも、ずっと、心に刻んでプレーしていきます」

笠原の言葉が、プレーしているピッチの中ではじけてリフレインして、僕たちに響き渡る。

「俺は、俺を許すのか。俺が変われれば、新たな景色が見えてくるかもしれない」

自分が変わらなければ、世界は何も答えてはくれないのだ。

川本梅花

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